だから富良野なんだってば




 今シーズンも年末は富良野である。ただ、今回はホテルがキャンセル待ちとなってしまい、12月上旬まで待ち続けてやっと取る事が出来た。ホテルがとれなかった時の事を考えてサホロも押さえておいたのだが、無料でキャンセルできる期限直前になって二転三転することになって慌ただしかった。ま、一瞬だが富良野はあきらめたことも白状しておこう。(だからどうってこともないんだが。)今年は北海道は取るのが大変だったようだ。同僚もキャンセル待ちしてルスツに行った。普段は外国に行っている人たちが北海道へ。。。なワケはないよな。そーゆうヒトは沖縄かな。暮れから正月にかけて3人の同僚が沖縄に行ったからね。

 今年の冬は寒い気がする。雪がくるのが早かったし、12月も寒かった。われわれは27日に出かけて31日に帰ってきたのだが、毎日雪が降り続いた。一瞬の晴れ間は無いではなかったが、晴れた!と言えそうなのは最終日の午前中だけ。ただ、最終日は滑らなかったので、結局のところわれわれは雪の降りしきる中ばかりを滑っていた事になる。しかも、いつになく気温が低かった。ホテル前でー10度、ロープウェー山頂駅でー20度なんてのは過去に経験がなかった。これに風と雪が加わるから寒さは半端じゃない。そんなわけでわたしとしては珍しく、アンダーウェアのほかにもう一枚余計に着込んだ上でウェアを着る事にした。(普段はウェアの下には1枚しか着ていないのだ。)

 と言うわけで、寒さももとより視界が利かない事もあって上部ゲレンデで滑る事はあきらめて、ほとんどを下部のゲレンデで過ごした。富良野に行くはじめた頃は、スキー板とブーツを持って行ってボードの板とブーツを借りていた我々だったが、回を重ねるたびにスキー率が下がって行き、今回はスキーグッズは持って行かなかった。(昨年まではスキーブーツは持って行った)当然のようにスノーボードしかやらなかった。
 今回、気が付いた事なんだが、初心者のスキーヤーってのは子供ばかりで若者がいない。下手っかすなスノーボーダーは結構いるんだけどね。言われているようにスキーヤーの高齢化が進んで行くんだろうか?スノーボードもそこそこ出来るようになって思うのは、スキーの方が技術的な深みがあるような気がする。飛んだりはねたりしないという前提であれば、スキーの方が習得に時間がかかるような気がする。スキーの小回りターンを身に付けるより、スノーボードでカービングターンを身に付けるほうがが簡単ではないかと。

 ところで、我々が最初にスノーボードをはじめたのはこの富良野であった。右も左もわからない我々はスクールの門を叩いた。その時、最初に教えていただいたのがT先生。もともとはスキーヤーで、35歳の時にボードをはじめたというアルペン乗りのセンセであった。最初の2年間(といっても半日レッスンを3回だけだが。)お世話になった。その後も毎年富良野に行っていた我々なので、講習中のTセンセを見かける事があったし、彼も我々に気付く事もあったが挨拶だけでおわってしまっていた。が、今回はゆっくりお話しする時間があって、簡単なレッスンまでしていただいてありがたかった。お世辞でも『うまくなったね〜』と言われるとうれしいものである。今はスノーボードスクールも充実して、初心者だけではなく中級、上級のレッスンもできるようであった。


 毎年同じホテルに泊まっているわけなんだが、初回(1997.1)から前回(2001.12)まではほとんど変化が無かった。勝手知ったるホテルと言う事でよけいな心配をする事も無く、それが毎年足を運ぶ理由でもあるのだ。ところが、今回行ってみて小さいながら変化があることに気が付いた。まず、チェックインの時に、たばこを吸わないと言ったら禁煙フロアーの部屋に通された。去年までは禁煙フロアーなどというものは無かった。それから、食事の内容が変わっていた。メインダイニングも和食レストランもバンケットも。。。わたしは、何回も来ると少しずつ変わって行くんだなあ、なんて呑気な事を考えていただけだったのに、ニョーボが『支配人が変わって方針が変わったんじゃないの?』などとやに冷静に観察したのにはちょっと驚いた。案外、そうかも知れないと思った。









 

志賀高原プリンスホテル南館




 志賀に行ってきました。志賀高原プリンスホテルに泊まってみました。わたしたちにとって、プリンスホテルと言えば新富良野プリンスホテルのこと。何しろ、6回も行っちゃってますから。従って、同じ名前とあればどーしても比較してしまいます。(これ以外のプリンスホテルもいくつか泊まったことありますが、スノーリゾートの、と言うことであればこの二つ以外は経験がありません。)以下、その比較。


 私たちが泊まったのは南館です。まず、ロビーですが、これが狭い。っていうか、ロビーと言う名のしろものは無いと言ってもいいくらいです。正面玄関を入ると右手がフロント(ほんとはレセプションと呼んでほしいのだが、これは仕方ないかなあ)なのだが、入ったすぐ左側にロッカーがずーっと並んでいる。機能的なんだけど、そーゆうものは正面玄関からは見通せないところにあった方が好ましいです。

 新富良野と比べると若干狭いかなあと感じましたが、部屋に関しては特別に不満はありませんでした。

 ゲレンデへ。新富良野同様にゲレンデに向かった玄関があってリフト乗り場は目の前。(新富良野より近い。)さらにホテルの建物の中からゴンドラに乗り込めます!この面では断然こちらが上。

 さて、食事なんですが、この違いが大きかったです。一番の違いはダイニング。ここは2Fと4Fに食事をする場所をもうけていましたが、4Fの方がダイニングと名付けられていました。チェックインに際して、夕食は予約してくれとの指示がありましたので、それなりのレストランを期待していました。で、行ってみました。雰囲気はそれなりでしたが、ハーフバイキングとかいう形式の食事で、オードブルとメインディッシュはテーブルまで運んでくれますが、それ以外はバイキング形式となっていました。新富良野のメインダイニングとバンケットを足して2で割ったような、とでも言うんでしょうか。これはちょっとがっかりしました。
 朝食はバイキングでした。これ自体は普通なんですが、食後、自分で食器を下膳コンテナまで運ばなければいけませんでした。昼食時も下膳はセルフでした。肝心のお味の方ですが、これが今ひとつなんですわ。もちろん、まずくはないんですが、新富良野には遠く及びませんでした。(と言いつつ、昼食の時だけとはいえ、米がまずかったなあ。)

 駐車場のスペースですが、これは似たようなものであったと思います。もうひとつ似たようなことは、周囲にホテル以外は何も無いこと。


 で、全体を通しての印象は、ずいぶんとサービスを簡素化しているんだなあってことでした。特に食事絡みのコストダウンが目に付きました。新富良野のサービスがプリンスホテルのスタンダードと考えているわたしたちにとっては、同じプリンスホテルとは思えませんでした。たぶん、スキー人口が減って、スノーボード人口とあわせてもかつてのスキー人口には遠く及ばない現状で、経営的にはかなり苦しいんだろうなあと推測されました。それでも東館なら違うのか?今度は東館にも泊まってみようと思っています。


 肝心のゲレンデです。かつてスキーオンリーだったころには何度か滑った焼額なんですが、コースが狭くて小回りの苦手なわたしには辛かった記憶が残っていました。今回は、久しぶりに行った上にスノーボードだったために、ほとんど初めて滑るような新鮮さがありました(苦笑)。その上、日曜の午前中はピーカンで、北アや南アまでもがすっかりと見渡せて、それだけでも来た甲斐があったと言うものでした。(画像が無いのが残念至極。)そして、その昔スキーでかっ飛んでいたコースを、スノーボードでも普通に降りてこられるようなったことを素直に喜んだわたしたちでした。


 しかし、今さらながら志賀高原は近くなりました。往復ともに5時間40分ほどで到達する事が出来ました。そして、スタッドレス装着だったために中央道を大人しく走ったためか、我がレガちゃんがかつて無いほどの燃費を叩き出してくれました。









 

富良野しか見えないの?




 そう、富良野しか見えないんです。1997年の1月に行って以来、98年の年末を除いて、7回目となります。こんなに来ていると目新しいことはほとんど無いように思えますが、時々新しい発見があって面白いです。

 今年も年内に帰ってくる予定で出発しました。予想に反して北海道の道南〜石狩平野上空には雲が無く、函館・室蘭付近〜千歳〜札幌あたりがまるで地図を見るように見られました。その後、夕張山地の上を飛び旭川空港に降りていくわけですが、一旦、喜多に回り込んで機首を南に向け、空港上空をフライパスした後、八の字を描くように降下して南から接近することを初めて知りました。

 そして、いつものように新富良野プリンスホテルへと向かいました。フライトの都合でホテル到着が13時とえらい中途半端。当然、チェックインできませんから、一応の手続きはしておいて時間まで待つことにしました。富良野の町へ行ってみる?って話も出るには出たわけですが、結局、ニングルテラスで過ごすことになりました。
 実を言うと、今までニングルには何度も行っていますが、いつもちゃんとお店が開いていたことが無くて、何時営業してるんでしょ?って思っていたワケなんですが、そーか、こおゆう時間に来るとやっているのか、と。今までは、13時〜15時っていうと、昼食後の休憩かゲレンデに出ている時間でしたからね。最終日は大抵午前中で帰ってしまいますから、営業開始時間の12時にはホテルを離れています。のんびりと散歩がてらにすべての店を回り、ニョーボはいろいろと買い込んでいました。わたしもブックカバーを買いました。そして、お茶をして帰ってくるのはいつもの通り。
 今年も禁煙フロアに部屋を取っていただきました。分煙は確実に進んでいます。が、食事をする場所での分煙は中途半端であったように思います。メインダイニング、メインバンケットなどいずれも、境目に座った非喫煙者がつらかろうなあ、という状態でした。

 その夜、チャペルコンサートに行きました。今年も岡崎倫典さん。アコースティックギターをアンプで増幅させる一風変わったスタイルのインストロメンタルです。癒し系の音です。


 今シーズンは暖かかったです。特に、29日はおそらく最高気温が0度前後まで上がったのではないかと思います。降る雪が非常にべたついていて、ウェアに付くとスグに解けて濡れてしまって気持ち悪かったです。春先に降る雪のようでした。そのためかどうか、滑りにくくて苦戦しました。それでも、28日と30日はー6度程度の気温で(最高気温)快適でした。


 3日目、昼食を終えて午後の滑走を始めた時、リフトの降り口に1組の母と子がいました。その男の子は滑るのがイヤなようで立ち上がろうとしませんでした。母親は子供をしかりとばして起こそうとしていますが、男の子は言うことを聞きません。母親もかなり感情的になっている様子で、しかると言うより罵声を浴びせかけている状態でした。我々がそのまま滑り降りて、再びリフトで上がっていくと、その親子はリフト脇から本コースへ出たところで立ち往生しています。母親は半狂乱のようにがなり立てています。我々が三度その場を通ったとき、男の子は板を脱がされていましたが、それでも降りられないようでした。その後、上に向かって歩いて行きます。どーやら、男の子はリフトで降ろして欲しいみたいでした。結局、その子はスキー学校のインストラクターのおにいさんの背中に乗って降ろしてもらうことになったようです。最後に見かけたとき、父親とおぼしき人物も合流していて、イントラ、父親、母親の順で下っていきました。父母ともに腕前がアレで、滑れなくなった子供を降ろす技がなかったようです。トラウマにならなければいいけど、そう思わざるを得ないわたしでした。

 最終日は、いつもに比べて早めの出発になりました。これもフライトの関係なんですが、朝9時半の出発。見慣れた風景の中を空港まで向かいます。定刻に離陸、定刻に名古屋空港に到着しましたが、名古屋は雨が降っていました。これは予想外の展開でした。









 

富良野・・今年はちょっと違うぞ



 毎年毎年、年末には富良野に行っているわたしたちだ。今年もいっちゃったわけだが、今回はいつもとちょっと違うことをしてきた。

12月27日(月)
 相変わらず名古屋〜旭川間は毎日1本しか就航していない。そのダイヤが例年とは違っていた。名古屋発がなんと14時。まぁ、家をゆっくり出られるのはうれしいが富良野への到着が18時近くになってしまう。旭川空港へのアプローチは低くたれ込めた雲の中となり、ランディング寸前までほとんど視界が効かない状態だった。この条件でよく降りられるものだと感心した。
 空港に降り立ってみると、名古屋便待ちのアクセスバスに乗車する客はわれわれ2人だけだと判明した。ホテルから空港へ運んだ客も2人だけだったとの由。バスのガイドさんはフレンドリーなヒトで愛想良くいろんな話を聞かせてくれた。お客さんがわれわれ2人だけなんでざっくばらんだったなんてことはないとは思うが。。。
 客がわれわれだけなんで富良野に着いたあといろんなホテルをグルグルと回ることもなくあっさりとホテルに着いた。今年も新富良野プリンスホテルだ。チェックインの後、とりあえずニングルテラスに出かける。これをわれわれはニングると言う。チュチュの家で「焼きミルク」を飲む。知らないうちにここ売りになっているようだ。「焼き」という名前とは裏腹に冷たい飲み物だ。
 今回、実は電話の通話状態がきわめて悪かった。われわれは2人ともドコモの電話を使っているのだが、通話中に途切れたり、メールが送信できなかったりした。ホテル側も承知のようすで、チェックイン時に渡された用紙にその旨が書かれていた。@FreeDも全く繋がらなかった。昨年は窓際に持って行けば繋がったハズなのに。。。

12月28日(火)
 例によって朝はのろのろと起きあがり、ゆっくり朝食に行く。『なんかお客さん少ないね。』なんて言っていたわれわれだが、実はふつーの客がすでに食事を終わったあとでノコノコと食べに来ていたわれわれだったワケだ。
 ゲレンデに出ると、5分と経たないうちにT山センセ(最初にボードに乗ったときにわたしたちをレッスンしてくれたスクールのセンセ)に発見される。『また来てたんですね。』って。激しく雪が降り視界が悪く、おまけにめちゃめちゃ寒いので、大人しく下のゲレンデで滑る。

12月29日(水)
 今日は観光。富良野に来るようになって今回で7回目になるんだが、ホテルとゲレンデの往復ばかりで富良野盆地について何も知らないわれわれだったので、オプショナルツアーの新設にあわせて観光してみることにしてみた。ちなみに参加は無料。ただ、事前申し込みが必要とのことであったが無理を言って加えてもらった。で、指定された時間にロビーに行ってみると、参加者はわれわれを入れて3人。コースは、冬の美瑛の丘を見て、旭山動物園に行って、旭川ラーメンを食べてってコースだったんだが、この日から旭山動物園が年末年始の休園に入ってしまったために動物園を温泉に変更して実施された。
 当日は晴れ間の覗く良い天気だった。ゲレンデに出ていればさぞかし気持ちよかったろうなあと思ったりもしたが、観光、観光。ガイドさんは冬の北海道の生活ぶりを中心に話を進めてくれて、それはそれで興味深い話だった。冬場、玄関先や庭先の灯油タンクにタンクローリーが横付けで給油するなんて北海道でなきゃありえんだろう。
 バスは富良野から中富良野、上富良野と走るが、これはいつも空港との間を行き来する道だ。美瑛に入ると東に折れて美馬牛(びばうし)地区へと進んでいく。2つほど丘を越えた先に拓真館があった。ここは写真家の故前田真三氏の写真を展示した写真館だ。氏はここに別荘をおいていたらしい。美瑛の美しい風景を切り取った写真は、前田氏が何に感銘を受けたかが伝わってくる。傍らに氏が使っていた機材が飾ってあった。いずれも名にし負う往年の名機である。リンホフスーパーテヒニカなんて実機を初めて見た気がする。
 そこから温泉へ。旭川に隣接する東神楽町の花神楽という湯である。雪の国道を淡々と走って旭川の外縁まで行った後に東に転じて山に向かって走る。と、突然ホテル風の大きな建物が現れた。スーパー銭湯の一種なのかな?温泉なんだけど。。。結構な人数のヒトが集っていた。
 温泉から上がったら次はラーメンだ。旭川市内、永山のラーメン村というところに行った。全部で8軒だったかな?ラーメン屋が軒を連ねていた。旭川は醤油ラーメンだというので、有名な山頭火があったが、ここはよして一蔵(いちくら)にいった。ねぎラーメンは美味であった。わりとあっさり系。あっさり系の多くが鰹で出汁をとってたりするなかで、お魚系を使わないであっさりというのはいい。ちゃっちゃとラーメンを食べてしまったので、ちょっと時間が出来た。とはいえ、遠くまで行くことは出来ないので、ラーメン村の道を挟んだ隣のホームセンターを覗いてみた。店頭に雪かきグッズが所狭しと並べてあるのが北国らしかった。ところで、ここをご覧の皆さんの地方では、灯油用のポリタンクは何色だろうか?関東では、関西ではなんだそうだが、わたしの住む地方は赤いポリタンク青いポリタンクが混在している。こおゆう地域は珍しいらしい。
 ホテルに戻ったのは15時半ころだったかな。16時にT山センセとお茶する約束になっていたのでホテル内のカフェに。スキー場やスキー業界の裏話が聞かれて面白かった。ちなみに彼の生業は農業だそうで16haの農地を持っているんだそうだ。

12月30日(木)
 この日は久しぶりに上部ゲレンデに行こうと言うことになった。幸い、天気も悪くない。ところが、ロープウェーが止まっている。機器の調整ということだった。仕方ないので4人乗りで中腹まで上がることでよしにした。(中腹とは行ってもロープウェーで上がる2/3ほどのところだ。)ちょっと重たい雪だったがまあまあの状態だった。(本州なら極上だが)
 で、今年も出た!アントラーズ親子。ホテル内の和食レストランで昼食を摂っているとベージュにエンジ、胸にアントラーズのエンブレムのついたウェアを着た親子が入ってきた。顔も見覚えがあるから間違いない。彼らとは夕食のバンケットでも遭遇した。アントラーズのフリースを着ていた。何者?

12日31日(金)
 フライトの都合で午前中がまるまる使える。そこで、久方ぶりにスキーを履くことにした。ブーツと板を借りてゲレンデへ。ボードに夢中になっている間にスキーの板はすっかり変わってしまった。身長ー5cmの板なんて。。。かつては190cmなんてのを履いていたものなんだが。。。この日もロープウェーが停まっていたので4人乗りで滑った。久々でもそれなりに楽しめた。(明らかに下手になってるが)
 チェックアウトを1時間送らせてもらってあったのでゆっくりと部屋に戻って荷造り。ホテル付属のパン屋さんで昼飯をとってバスに乗り込む。今回はけっこう途中から乗ってきて賑やかだった。
 空港でチェックインしようとしてJALカウンターが並ぶ光景に違和感を覚えた。旭川にJALは飛んできてたっけ?JASと合体したんだと気づくまでしばらく時間がかかった。そーいえば、AirDoのカウンターもあった。われわれの乗る便は、機材の到着が遅れ10分のディレイとなっていた。上空に上がると機長の挨拶があって、強い向かい風の影響で速度が出ないため、(時速700kmと言っていた。調べてみたらエアバスA320の巡航速度は時速850km弱だった。)名古屋到着がさらに20分遅れると言っていた。さらに、名古屋空港付近は低気圧の接近で気流の状態が悪く、着陸時にかなりゆれるだろうとの話だった。結局、キャプテンの言うとおり名古屋空港へは30分のディレイで到着。ただ、着陸時の揺れはそれほどでもなかった。ただ、名古屋空港付近はかなりの降雪があったもようでところどころ地面に白いものが見えた。名古屋駅に着いてみると新幹線も遅れが出ていて、時間的に乗れないはずだった列車に乗れてしまった。関ヶ原付近同様、東京も大雪だったらしい。