春は志賀へ




 昨日、1999年暮れの富良野行の記録を書こうと旅日記のページを見ていて気がつきました。『あれっ?志賀の記録が書いてない!』誰も読まないかも知れないけど、ま、一応書いとこ。ってことで、遅ればせながらの春の志賀。

 なにせ10ヶ月以上も前の1999年3月の末の話なんで、細かいことは忘れっちゃってます。志賀は電車とバスで行くことにしてますんで、この時も同様。大阪からのシュプール号を名古屋で掴まえて長野へ。3月の最後の週末ということで、シーズンもオシマイに近いためかエラク空いています。わたしの乗った座席車には数人のお客さんしかいませんでした。後で知ったことですが、このシュプール号には寝台車が連結されていて、こちらの方は満席だったんだそうです。


 長野でシュプールバスに乗り換えて発甫・薬師の湯へ。実は、この年の3月から志賀高原のほとんどのスキー場でスノーボードが解禁になりました。そこで、スノーボードで志賀ってことにしたわけです。でも、ワザが足りないおいらたちは緩斜面での反復練習ってことでブナ平に近い発甫に宿を取りました。流石の志賀もこの時期になると雪質は望むべくもなくベタベタの腐れ雪。ただ、スキーよりも雪質が悪くてもへーきで滑れるのはまだ難しいワザができないためなのでしょうか。この日と翌日の午前中、ひたすらブナ平を滑りました。ただただ反復練習。で、いいイメージを作ってシーズンを終えることが出来ました。

 

 
 

やっぱり富良野



 今年の冬は富良野に決めた。もう昨シーズンのうちから決めてしまっていた。ツアーが発売になると同時に申し込んで、今度こそ希望の日程、今年こそは望みのコースをゲットした。


 なんとなくY2K問題が気になって、年内出発、年内帰着の日程を組んだ。いつも通り名古屋空港発着なワケだが、去年、新千歳発着でエライ目あったんで旭川発着とした。名古屋ー旭川便は日に1便しかない。従って、これが巧くない時間だと結構辛い日程になったりするのだ。幸い今年は今までで一番ナイスな時間で、自宅を無理のない時間に出て(もちろん前泊の要無し)、昼過ぎに名古屋を飛び立ってチェックイン出来る時間にはホテルに到着できた。最終日も、旭川を14時過ぎというフライトで、夕方には浜松に着く。


 さて、15時過ぎにチェックインして、前もって送ってあった荷物も受け取り、その気になればそのまま滑りに行ってもよかったんだが、ま、無理することない、のんびりしよーや、ってことで部屋でくつろぐ。

 26日なんていう早い時期に来たのは初めて。なんかずいぶん空いている気がする。新富良野プリンスも3回目ともなると、慣れたもんである。初日はゆっくりと食事をしてくつろいで翌日からに備えた。


 翌27日はピーカン。3回の富良野で一番の天気。一番上まで行くことに即決。で、スキーをレンタルする(笑)。いやね、スノーボードで一番上のゲレンデまで行くと、降りてくる自信がないのよね〜(爆)。初めてゲレンデの最高地点まで行った。昨夜降った雪が木々の枝を白く被い、青い空に映えて美しい。暖かいためにパウダーってワケにはいかなかったのが残念だったが、寒くなかったことでよしとする。お客さんも少なく、終日快適なダウンヒルが楽しめた。


 次の2日はスノーボードを履いて、下部のゲレンデでひたすら反復練習。いや〜、久しぶりのスノーボードは、なかなか板に乗れなくてちょっと苦戦。慣れるまでに1日を要してしまった。それでも、最終日には昨年の最後の滑りを思い出すくらいまでは復活したか。
 今年は積雪量も多く、(って平年並みなのか?)総てのリフトが稼働していた。今年も時間の関係で北の峯ゾーンには行かなかったが、広い緩斜面とかあって、寂しい腕前のスノーボードの反復練習には良さそうである。今度は新のつかないプリンスホテルに泊まってみるか?
 28日の夜、ニングルテラスとやらに行った。ニングルとは、なんでも、北の国からの倉本氏が創作した杜の住民とかで、ま、コロボックルみたいなものと解釈する。で、ニングルテラスとは、よーするに手作りのお土産物を売る小さなお店が集まってるスペースなんだね。林の中に小径を作って(スタスタ歩けば数分で回れてしまう)、その道筋に点々とお店を配置。夜は道やお店を電飾で飾ってなかなか綺麗。プリンスホテルや他のいろんなホテルからバスかなんかで来ている人が結構居てビックリする。


 さて、30日。もう帰る日である。ホテル前を12時出るバスに乗ればいいので、その気になれば午前中も充分滑れる。でも、その気にならないのが昨今の私たちなのである(笑)。ゆっくりと食事をしたり、お土産を見たりとのんびり過ごす。
 旭川空港の出発ロビーはとても綺麗になっていた。(到着ロビーは今までのまま)最近は、地方の空港もずいぶん立派になっていますね〜。(だからって、静岡空港はイラナイ)この日の本州中部はとってもいい天気で、北アルプス・八ヶ岳・中央アルプス・南アルプスなどの本州中央部の高峰がことごとく見られました。


 

なんとなく富良野



12/26(Tue)
名古屋界隈は昨夜来の雪で真っ白。名古屋空港はダイヤが大幅に乱れている様子で、各便は軒並みディレイ。機材の調達ができず欠航する便もでていた。それでも我々の577便は定刻の15分程の遅れでtake off。旭川空港への着陸は視界が悪く揺れも激しかった?。時間によっては(もっと遅い時間か新千歳に降りた便もあるとの由ー後日のチャペルコンサートでの岡崎倫典氏の話より。)もっとも、これはパイロットの資格にもよるもので天候は大差無かったのかしれません。旭川空港は到着ロビーが奇麗になっていた。去年までの建物は、失礼ながらローカル鉄道の駅のようであった。北都バスのガイドさんから毎年同じ話を聞く。今年の方はカンぺ棒読み。

 ホテルはいつものたたずまい。
今年も大教互の方々がいる。大阪のセンセ方はお金持ちなんスね。
 航空ダイヤが乱れたた影響もあったのか、クロークが大混乱していて、宅配で送った荷物が行方不明になっていてあわてた。ま、荷物は夕食前には届いて事なきを得たが。。。以前にも書いたが、このホテルにはレストランが三カ所と喫茶が二カ所ある。メインダイニングはフレンチ。最上階にある。同じフロアに和食レストランと寿司屋。バイキングレストランがB2。今宵はバイキングとした。



  12/27(Wed)
 終日雪。寝倒してしまいゲレンデに出たのは10時半。12時をはずして昼食を12F(最上階)のレストランでとる。空いている。午後は16時過ぎまで滑る。この日は終日snowboard。夕食は最上階の和食レストラン(からまつ)またまた、クロークが大混乱していた。スタッフが、ポール(競技用)の束を送ってくれと頼まれてあたふたしていた。



  12/28(Thu)
 やっぱり雪。やっぱり出遅れる。13時まで滑る。昼食を12Fのからまつで。富良野の街が見えていた。ホテルの駐車場を、除雪ダンプ行き来している。際限がないだろう、この雪では。昼食後は16時過ぎまで滑る。終日snowboard。夕方、ニングルへお茶しにいく。除雪ダンプはまだ仕事をしていた。

 夕食はメインダイニング。入り口にアントラーズのレプリカユニを着た親子がいて仰天(古い表現ぢゃのぉ)。やはり、アントラーズファンは只ものぢゃない。いかにリゾートとはいえ、ふつーフレンチレストランにそんなもん着て来ないぞ。おそるべき感覚と言わざるを得まい。



  12/29(Fri)
 今回、初めての晴天に勇躍ゲレンデへ。でも、時間は9時半。。。この日はスキー一式をレンタル。4回目にして初めて北の峰ゴンドラゾーンに行った。北の峰に向かうコースは、はじめ歩かなければイケナイようなコースから始まって、最後はコブっぽい急斜面を駆け下りなければならない。おじさんにとっては結構なハードバーン。初めてで勝手がわからず林間コースを滑ることとなって、気がつくと富良野プリンスの裏へ出てきた。しばらく北の峰ゾーンを滑ったが、いやいやスキーは楽ちんぢゃ。リフトから下りるのに苦労はないし、どんなコースでもへーきで行けちゃうし、やっぱおいらはスキーヤーなんだなぁと実感した次第(爆)。そー、レンタルの板はほとんどカービングになっていて、何にも言わないとこれが出てきた。長さは身長とほぼ同じ長さ。去年、カービングで痛い目にあったのは板が長すぎたせい?

   富良野ゾーンへ帰るシングルリフトがめちゃめちゃ長かった。当日は良い天気だったからよかったけど、吹雪いていたりしたらたいへんな苦行になったことだろう。

 部屋に戻って天皇杯準決勝の録画放送を観る。エスパルスの決勝進出に快哉。食後、午後は再びsnowboardに。

   夕食時、アントラーズくん親子(TOSTEMくんと命名。アントラーズのユニは胸にTOSTEMと入っているのだ。)をバンケットで発見。相変わらずTOSTEMジュニアもユニを着ている。席に案内されるとき、『TOSTEMくんから遠い席へ』って言いそうになった(笑)。

 20:30よりチャペルコンサート。昨年の経験から、20時には場に向かった。本日は岡崎倫典氏。アコースティックギターにアンプをつないで、ギター一本だけで独自の世界を作っているヒトである。インストロメンタルで唄は無い。夜半前より雪になった。



  12/30(Sat)
 さて、最終日。今日も朝から雪である。エレベーターでTOSTEMくん親子に遭遇。なんとスキーウェアもアント仕様。ベージュに腕がエンジのウェア、胸にアントラーズエンブレムのワッペンが張り付けてある。。。茨城ではこおゆうウェアを売っているのか?後日、アントラーズのオフィシャルウェブをチェックしたがそのようなグッズはなかったが、過去にはあったのか?謎は深まるばかり(爆笑)。
 土産を買ったり、パンやさんでお茶するうちに出発の時間となる。

 12:00ホテル発。バスは私たちの泊まった新富良野プリンスを出発点にいくつかのホテルを回って行くんだが、名簿には最終的な乗車メンバーしか乗っていないようで、客がいてもいなくて も一つ一つこまめに回っていく。どのホテルから乗るのかがわかれば、いないところは飛ばせるのにとはニョーボの云いである。ま、乗り遅れがあったりしたときのことを考慮しているのであろう。帰りはガイドさんのしゃべりは無し。また聞かされるのかとウンザリしていたんでラッキー。

 旭川空港を定刻に離陸。青森付近、新潟付近、八ヶ岳〜諏訪湖〜南ア〜中ア〜名古屋付近にわたって地上よく見えた。フライトアテンダントの1人がとても気さく、氏名不祥なのが残念。 帰って来ると浜松は暖かった。


   

 
  

 

またしても富良野




  12/27(Thu)
 今シーズンも年末は富良野へ。これで5回目。何の新鮮みもない旅行記になるがご容赦いただきたい。何しろ、新富良野プリンスホテルに泊まっての極楽スキー&スノーボードがいたく気に入ってしまって、折角、年末休みに北海道まで行くとあれば、『ココしかない』とのすり込みが出来上がってしまっているわが家なのである。

 今年も名古屋から旭川へ飛ぶ便を利用した。機材がA-321に変わっていた。A-320同様、通路は1つの小さな飛行機だが、ボディが多少ストレッチされて定員が増え、天井に小さな液晶モニターが格納されていて、使うときに出てくる様になっていた。旭川は雪だった。気温は−5度ほど。今年は平年並みのようであった。富良野までは小一時間。富良野の街に入る直前に晴れ間が覗き、富良野スキー場の全貌が目に入った。積雪は1mほど、これも平年並みなのか?新富良野プリンスホテルも見えた。新富良野プリンスはやっぱり人気らしい。わたしたちが行っていた間はすべて満室状態だったらしい。ほどなくホテルに到着。

 わたしたちは、ボードなどのほとんどの荷物はいつも宅配で送ることにしている。で、出発の2日前にぢもとのクロネコヤマトの宅急便にお願いしたら、『通常なら27日にお届けできるんですが、9月の貿易センタービルの事件以来航空貨物のチェックが厳しくて、1日遅れるかも知れない。』とのことだった。『それでも構いません。』ってことで送って貰った。ダメ元でクロークに行くと、『スノーボードは届いています。バッグは・・・』今から探すから部屋で待っててね、と言われて部屋に戻りました。ま、届いてなかったら明日は富良野の街にでも行ってみるかってハナシにもなったわけだが、結局荷物はちゃんと届いて、翌日からしっかり滑れることになってラッキーだった。



  12/28(Fri)
 例によって講習が始まる頃に、のこのこゲレンデに出ていくわたしたちだ。昨夜来の雪がいい感じについている。雪の状態がメチャメチャ良くて、1本目からいい感じで滑ることが出来た。いや〜、上手くなったなあ、オレも。。。って。翌日、あれは雪が良かったせいだったんだって思い知ることになるんだが。。。この日は緩斜面で反復練習に暮れた。

 夕食は予約をしておいた和食レストランでとった。ここは、ヨーロッパのホテルのように館内のレストランと言えども予約を入れておかないとエライ待たされることになる。これは毎年行ってると分かってくる。和食はメインダイニング(洋食)と比べると空いているように思った。食後、エレベーターホールでTOSTEMジュニアを発見。(昨年の富良野行参照)今年も来ているのか?



  12/29(Sat)
 この日もずいぶんゆっくりと出かけていった。スノーボードに乗っては初めて富良野ダウンヒル高速リフト(クワッドリフト)に乗った。傾斜が急になると緩斜面のようにはいかなかった。スピードに気持ちがついていかないんだな。大転倒するまでは、わりと積極的に行けたと思うが。。。
 最初に富良野に来たときはスキー中心でスノーボードはおまけだった。それが次第に逆転していき、今回は全くスノーボードしかやらなかった。スキーブーツは持っていったんだけどね。しかし、ダウンヒルコースに上がってみると、どー見てもわたしたちが一番下手だ。一般に北海道のゲレンデはレヴェルが高い。これはスノーボーダーも同様で、わたしにとっては幅いっぱいを使わなければ降りられないような場所をショートターンでかっ飛んで行ってしまう。ちょっと惨めだ。いつになったら中程度の斜面をショートターンで飛ばせるようになるんだろうか?午後、雪が激しくなる。が、今年はゴンドラが止まらない。

 夕食後、岡崎倫典氏のチャペルコンサートに行く。昨年に引き続いて2回目だ。今シーズンは、進行にも工夫が感じられて、アコースティックギターのインストロメンタルという地味な演奏ながら十分い楽しめた。



12/30(Sun)
 朝起きられない。やっぱりのんびり出発。玄関を出るときに一滑りして帰ってくる人たちとすれ違う。講習も始まってる。。。昨日の散々な滑りにダウンヒルコースに上がるには気合いが足らない。が、根性入れて上がった。やっぱ、気持ちだね気持ち。気合いで負けたら出来ることもできない。何とか納得して降りてきた。ニョーボの方が気合いが入っていた。

 昼食で部屋に帰ると、倫典さんが廊下のソファーで何やら作業をしていた。作曲?富良野のホテルで作った曲が何曲かあるそうですので、曲を作っていたのかも知れません。昼の間はこうやって時間を過ごしていたんだな、と思った。

 夕方、ニングルテラスにお茶をしに出かけた。いつも通りのたたずまいである。いつも思うことだが、商売になっているんだろうか?余計なお世話か?夕食のころから空は荒れ模様になった。食事を終えてラウンジへ出かけていくころには本格的な吹雪になっていた。最上階のラウンジに行ったが、建物にあたる風が唸りを上げていた。雪の降り方もハンパでなく、まるで雨が降るようだった。明日、飛行機は飛ぶんだろうか?この日、新千歳空港は大混乱していたようだ。



12/31(Mon)  明けて最終日。まだ雪は降っていはいるが風が止んできた。大晦日に帰るのはちょっと寂しい。ホテルのロビーには大晦日ビンゴ大会の景品が置かれている。これまた寂しい。。。バスの出発は11時半。いつものように最終日はゲレンデには出ない。朝一から頑張れば、ゴンドラ2〜3本は出来ないことはないが、頑張らないのがわたしたちだ。ゆっくりと朝食をとって、昼食用のパンを買い込んで出発。旭川空港の出発ロビーはお店が増えていた。飛行機に乗り込む。前席のポケットにある翼の王国はなんと1月号になっている!ニョーボは、1月号にだけ載る、その年一年を占う占いページがお気に入りなのだ。良く当たるとかで。。。
 機内は空いていた。なんてハンパなもんじゃなくて、搭乗率は3割程度じゃなかったでしょうか?この日も、上空から下界?が綺麗に見えた。北アルプス、中央アルプスの大パノラマに乗客のほとんどが左側に寄ってしまった。。。名古屋空港では、今回、往復ともタラップ&バスでターミナルビルとを行き来した。そう言えば、年が明けた1月の初め、名古屋空港が大雪でクローズになった。わたしたちが北海道から帰ってくるとき、旭川空港のクローズは心配したが、名古屋が雪でクローズになることはまるで考えなかった。こんなこともあるんだ。


   

 
  

   

ハイシーズンの志賀へ




 今年は建国記念の日にからんで3連休となる。ここで栂池に行こう!って話になったんだが宿が取れない。いつものLife-K1さんもだめ。このダメ出しが1週間前とあって少し焦った。それでもネットで探した志賀高原の一ノ瀬のホテルに予約を入れ、なんとか行かれる手はずを整えた。が、土曜日1泊しかできない。場所決めが直前のこと故、電車の手配など出来ようはずもなく、今回はクルマで出かけた。これまでは志賀に行くには8時間以上の時間がかかるものと思っていたために(過去にはもっとかかったことがあった)クルマではかったるいと考えていた。(ニョーボは雪道はもちろん、高速も運転できないのだ。)が、近年アクセス道路が整備され、ずいぶん早く行かれるようになった。今回は往復とも6時間少々の所要時間でOKであった。あと、スノーボードをするようになって楽だな〜って思うのは板をいちいちキャリアに積まなくても済むこと。私のクルマはステーションワゴンだから、今回みたいに2人だけならバックシートを半分だけ倒して、板を放り込んでしまえば準備完了だ。ルーフキャリアのステーにアジャスターを取り付けて。。。なんてことは無用。たぶん、3人までならこれで行ける。

 さて、初日。体調の優れないわたしは出発を躊躇ったが意を決して出発。浜北から愛知県の北部を通って飯田へ抜ける。中央道〜長野道〜上信越道をひた走って信州中野からアクセス道路を志賀高原へ。かつてゲートのあったあたりから雪道となった。が、四駆にスタッドレス故、特に問題はない。昼過ぎに志賀グランドホテルに到着。すぐにゲレンデに。宿と道を挟んで向こう側がタンネの森スキー場だ。リフト待ちは無し。連休初日でこんなに空いていていいのか?なんとスキー教室の高校生までいる。土曜日だぞ。(この学校、翌日もいた)

 夕方、チェックイン。玄関の前はたくさんのクルマで収拾がつかない状態になっている。。。もっとも、フロントにキーを預けておくと何とかしてくれるのだ。3Fに上がって部屋までのローカを歩く。廊下の両側にドアが並んでなんか合宿所みたい。部屋に入る。シングルベッドが二つにエクストラベッドが一つ。左側のカーテンの中を見て絶句。そこには作りつけの二段ベッドが。。。って、ここって5人部屋。まさに合宿所。ウェブサイトの写真がは何だったの、と怒るニョーボ。実は、ネットで予約を入れるとき、空室状況をチェックして気づいていたことがあった。何故かウィークデーに満室のマークがいくつもついていた。ってことはココは修学旅行(スキー教室)を受け入れているってこと。はっきり言ってこおゆうところは期待できない。その旨をニョーボにも言ってあったため、ダメージは少し軽くて済んだ(苦笑)。
 そして夕食。夕食時間を17時〜19時までと制限された。早いぞ。で、食事も修学旅行仕様。メチャメチャボリュームがある上に、暖かいものが少ない。スタッフの対応も今ひとつ。やっぱり合宿所か?

 翌日は曇。運良く雪が降っていない。朝食時間も7時〜8時と仕切られて、否応なく早起きだ。9時には支度が整うという、近年のわれわれには考えられないスピーディなスタート(笑)。
 前日とはうって変わって穏やかな天候。視界も効き、前夜の降雪で雪も良い。ニョーボも絶好調。リフト待ちは最大10分程度と、この時期としては好条件。って、一時のメチャ混みは今は昔の話となったように思う。リフト1時間待ちなんてこともあったよね。でも、志賀高原でこれだから、ローカルなスキー場なんかだと、3連休とはいえ結構空いていたんじゃないかな。スキー場も勝ち組と負け組に分けられていくんだろうか?ともかく、快適な滑走を楽しんでゲレンデを後にした。

 帰路は、愛知県の設楽郡下の県道で一部渋滞したが(海老と玖呂勢の信号)それ以外は順調に流れた。もっとも、連休最終日の11日だと、こうは行かなかったと予想される。たぶん、湯田中に降りるところから大渋滞したことだろう。