shinshu-autumn

信州秋色

2008年10月11日(土)

 冬以外の季節に飯田に抜ける山間の道を辿ることはめずらしい。R151を使おうかと思ったが、走り慣れたR153を飯田へと向かう。が、飯田山本インターなんてのが新設されていてビックリ。迷い込むようにインターチェンジに入っていってしまった。

 中央道は多少混んでいたがスムーズに走った。松本インターで降りて松本市街地へ。松本は山をやっていた頃には馴染みの町だったが、今ではすっかりご無沙汰だ。馴染みとは言え、かつては観光で訪れていたわけではなかったので松本城すら行ったことがなかった。国宝らしいので行ってみることにした。

 お昼をだいぶん過ぎていたので、昼食を摂ろうと駐車場の隣にあるリードという店に入った。喫茶店風(夜はたぶんスナック)なのに蕎麦という暖簾が出ている。1日限定20食というポップにつられるように店内へ。入って、一瞬固まった。どう見ても蕎麦を出す店ではない。正しく喫茶店(夜はスナック)なのだ。店のスタッフはわたしたちの逡巡をあたり前のように受け止めて、『どうぞ。お蕎麦ご用意しますよ。』と。わたしたちの心配をよそに、始めたばかりという蕎麦は腰があって喉越しもよかった。今回、3日とも昼食は蕎麦だったがここのが一番旨かった。
 松本城に行ってみると、この日は全国蕎麦祭とかで、日本各地の蕎麦打ち自慢が集まって蕎麦を振る舞っていた。(もちろん有料だ。)それぞれにテントには列をなした客が順番を待っていた。

 わたしたちは蕎麦祭はパスして天守閣へ進んだ。ところが、これが何故か激混みなのだ。入った先から大行列。上層階に上がっていっても大渋滞。狭くて急な階段の上り下りが渋滞の原因だった。この天守は安土桃山時代に築城された姿でそのまま残っている数少ない城と言うことで国宝に指定されているらしい。400年以上の年月を経ているとは思えない重厚な作りだ。それにしても、こんな混み合った城は初めてだ。

 さて、今宵の宿泊地白骨温泉に向かう。新島々から梓川沿いの道を辿るルートは山屋時代に何度となく通った道だ。もっとも、最初に上高地にはいるために通った道に比べると格段に整備されて走りやすくなっている。
 白骨温泉のお宿は白船グランドホテル。なかなか快適な宿だった。湯があんまり白く濁っていないことに気づいたが、余計なものを入れて白く見せるよりは遙かにマシだ。
 夕食は松茸づくし。ゆばもたくさん使われていた。きのこ汁とか山の幸が満載。素朴な感じもあって好印象。




2008年10月12日(日)

 宿の周囲はすっかり紅葉していたが、朝起きてみると目に見えて鮮やかになっていたこれには驚いた。この日の朝、出発の時気温は5度だった。明け方はもっと冷え込んでいただろう。

 この日は新穂高ロープウェイで西穂口まで登る。他に目的地はない。のんびりといってもいいわけだが、10年ほど前に訪れたときにエラク混んでいてロープウェイ乗車を断念して帰ったことを思い出し、それなりに急いで出かけた。
 白骨からは小一時間を有するわけだが、ロープウェイ駐車場の手前にある最後の洞門の中でクルマは止まってしまった。駐車場が満車なのだ。時間は9時半をまわったあたりだ。あまりの待ち時間に諦めてUターンしていくクルマが続出していた。40分ほど並んだところで第二駐車場に誘導されたが、前のクルマについていくと駐車場と思しきスペースを横目にどんどん奥へ登っていってしまう。そして何らかの宿泊施設の駐車場に突き当たってそれから先へは行かれなくなってしまう。途中の路上には違法駐車と思しきクルマがうじゃうじゃいた。路駐するのはイヤなので元に戻ってみると、遥か下に駐車場の入り口があった。

 ロープウェイ乗り場は蒲田川の対岸になる。ここ新穂高ロープウェイは途中の鍋平高原で乗り換え、わたしたちを2,000m超の高みへと連れて行ってくれる。第一ロープウェイにはほとんど待たずに乗れたが、しらかば平(鍋平高原駅としらかば平駅間は徒歩1〜2分の距離)から西穂高口へ上る第二ロープウェイは40分待ちとのことだった。整理券を貰いアナウンスされるのを待つ。山の写真を見たりお店を冷やかしたりしていたら40分はあっという間に過ぎた。上部ロープウェイは2階建構造になっていて定員は120名とのこと。わたしたちは1階の北向きの窓際を確保した。
 眼下に見える山肌は赤や黄色に彩色されてまさに紅葉の盛りだ。わたしたちは秋の北アルプスを登ったことはなく秋色の山々を直に見るのは初めての経験だった。実に美しい。
 ロープウェイ終点の展望台で散々写真を撮り、散策コースをぶらぶら歩いて再びロープウェイに乗って山を下りた。西穂の小屋が間近に見えたが(コースガイドによると1時間半程度らしい)、山装備をしていないわたしたちが踏み込むことはできない。

 この日の宿は松代に取ってあった。2時間ほどの道中となる。駐車場からクルマを出し下り始めて驚いた。駐車場への入場渋滞は減るどころかわたしたちが着いた頃の3倍〜5倍近いと思われる列にふくれあがっていた。渋滞の最後尾は、たぶん今日中には乗れないと思う。
 松本までは昨日と今朝辿った道を引き返すことになったが沢渡の下の渋滞も激しかった。昨日、私たちが上がってきたときには全く渋滞していなかったからこれにも驚いた。
 松代に着いたのは16時半頃だったと思う。宿舎となる信州松代ロイヤルホテルはすぐに見つかったが、旧陸軍が大本営を移転するために作ったという地下壕を見に行った。何でもその一部を地震観測所に使っていると言うことだ。ところが、時間が遅すぎて残念ながら見ることは出来なかった。

 松代ロイヤルホテルは思ったより立派なホテルだった。広くて明るいロビーが開放的だった。部屋もちょっと広めで照明も明るくてこれはわたしたちの好みだ。食事は洋食をリクエストした。きちんとしたフルコースのディナーだった。

 


2008年10月13日(月)

 最終日だ。この日の目的地も1つだけ。それは姨捨駅へ。何?それ?と言うヒトのために解説しよう。
 姨捨はおばすてと読む。姥捨て伝説発祥の地だがそれはこの際関係ない。この駅はJR篠ノ井線にある。篠ノ井線は善光寺平(長野地方)から冠着峠を越えて安曇野(松本地方)にいたる路線だ。長野県のメイン路線と言っていい。が、冠着越えがこの路線の難所でスイッチバックを繰り返しジグザグに線路を引いて山を越えていった。姨捨はそのスイッチバック駅なのだ。かつてはすべての列車が姨捨駅のホームに入っては出ていったが、今では普通列車や回送列車以外は駅を無視して本線上を通過して行ってしまう。姨捨の一つ松本よりにあったスイッチバックの信号所は今年の夏には廃止されてしまった。姨捨も駅はともかくスイッチバックはなくなってしまうという噂も聞く。あともう一つのこの駅の特徴はその素晴らしい展望だ。日本三大車窓というのがあるらしい。肥薩線の矢岳付近、篠ノ井線の姨捨、そして旧狩勝峠。ここへは電車で行くことにした。

 篠ノ井駅からは20分ほどの乗車で姨捨に到着する。わたしたちが乗る上り列車と長野方面に向かう下り列車が同時にホームに入っていった。(これは珍しくないか?)同じ列車から明らかに鉄ちゃん風のあんちゃんが降りた。スイッチバックを行き来する列車や通過する列車を撮る。ホームに入ってくる列車は少ないが本線上は次々と列車が通過していく。
 撮影が一段落してベンチに腰を下ろして景色を眺める。ベンチは線路を背にして景色が眺められるように設置してある。駅からの眺めは素晴らしい。ゆったりと流れる千曲川とその周囲の田園風景。近景には棚田も見られる。遠く長野と思しき町並みも見えている。ぽかぽかと陽気の太陽の下でのんびりとした時間を過ごした。滞在時間は40分だったがもっと居てもいいと思った。わたしたちがいる間もぽつりぽつりと人が現れては景色を眺めていた。クルマで訪れる人も多いらしい。今度はここの夜景を見に来たいと思う。さぞや素晴らしいだろう。

 さて、篠ノ井駅に戻って駅前で茸やらりんごやらを買い込んだ。帰途は上信越道を佐久へ。その先は野辺山越え。清里から須玉インターへ。甲府の手前で櫛形方面への分岐があった。一瞬、入ろうかと思ったがナビゲーションが精進湖越えを指示していたのでそれに従うことにした。中央道は甲府南まで走って甲府精進湖道路〜富士宮道路〜西富士道路〜東名高速と帰ってきた。富士宮市内(小泉若宮)での渋滞の他は順調に走ることが出来た。3日間で800km以上も走ることになった。若い頃なら何でもなかったが流石に疲れた。歳は取りたくないものだ(爆)。