佐渡って実は・・ |
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全県制覇に向けて残り4県。福島・茨城・沖縄と新潟。そこで、今回は新潟県と言うことになった。新潟と言えば、佐渡。何故って聞かれてもそりゃぁ佐渡ですよ。『佐渡へ佐渡へと草木もなびく』って言うじゃありませんか。 佐渡に渡るには普通は船。佐渡航路にはフェリーボートとジェットフォイルと呼ばれる高速艇の2種類が就航している。いずれも佐渡汽船が運航している。我々は仕事の合間を縫って忙しく佐渡を訪ねることになったゆえに、往復ともジェットフォイルを利用した。これを使うと新潟港〜両津港間がなんと1時間!フェリーの半分以下の所要時間で着いてしまう。この船、最高速度が80kmという凄まじさ。難しいことはよく分からないんだが、水中翼を使って船体を完全に海面上に持ち上げて走るんだそうで(翼走と呼ぶらしい)、昔からある水中翼船をすーぱーにしたようなものらしく、水中翼船が波と風に弱かったのに対して、風・波ともに強いんだそうだ。不勉強で知らなかったのだが、各地で就航しており、博多〜釜山間の国際航路もある。ただ、喫水線が浅いため翼走していないときは激しく揺れる。 それはさておき、8時に浜松を出て14時には佐渡・両津港に降り立った。島内をクルマで回るつもりでレンタカーを予約しおいたわけだが、営業所はちょっと遠いらしい。お迎えに来てもらって営業所に向かった。用意してあるクルマはアコードだった。何でホンダ?と思ったが、ま、別になんでも良いんである。にわかに土砂降りになった雨の中を北の突端、二つ亀に向かった。港のある両津の街はあっと言う間に通り過ぎ、海岸線を北へと走る。対向車はほとんどいない。30数分で灯台に到着。灯台の隣になんとかいう施設があったが閑古鳥が鳴いていた。続けて二つ亀に。ホテルの駐車場にクルマを止め、海岸へ降りる。砂州をはさんで小さな島が見える。これが二つ亀と呼ばれるのだろうか。砂州は海水浴場になっているようだったが、人影はなかった。風が強く寒いくらいだ。ニョーボが砂州を渡って小島に行ったが、わたしは流木に腰を下ろしてそれを眺めていた。 大野亀までは2〜3分。風が強く、横殴りの雨が降っている。西海岸を南下する予定だったので相川に向かって走り出す。駐車場を出たところに通行止めの看板があったが、「行けるっしょ。」根拠のない思いこみで車を進めてしまう。西海岸に回り込むと一転して荒涼とした風景が広がっている。夏の今でさえ荒れ果てた雰囲気なのに、冬になったらどういう感じになってしまうんだろうか? で、ところがっていうか、やっぱりって言うべきか、長島を過ぎてしばらく行くと道の真ん中にばーんとウマが置いてある。。。「あれ〜、やっぱりダメか〜。」すると、ちょうど道路管理者とおぼしきヒトがウマの向こう側から現れた。「どこまで行かれるおつもりですか〜。」詰問調で問いかけられることを予想していたわたしは、明るい声で問われてちょっと意外。「相川地内まで」とわたし。「この先は崖崩れで通れません。迂回路をお教えします。」ってことで丁寧に教えていただだいた。来た見た道を引き返していると、後ろから先ほどのおにいさんがエライ勢いで迫ってくる。追い越してハザードを点灯。『止まれってことかな?』路肩に車を止めると「先ほどの道よりも早い林道がありますので、そちらをご案内します。」とのことで地図を書いてもらった。で、林道の入り口まで誘導していただいた。両津市役所の方でかな?CRVのおにいさんありがとう。 この道は佐渡の脊梁山脈を縦貫するもののようで、ほぼ稜線の一番高いあたりを南に向かう。林道とは言えほぼ全域が舗装道路。人里離れた山道を走るうち、東海岸から上ってくる道と合流。西海岸へ降りていく。単調な山道をひたすら降りると、真更川の南側に降りつく。西海岸の道に降りついても今までと代わり映えのしない山道を延々と走る。そのうち道が広くなり海岸線を走るようになってくる。寂しげな集落をいくつも通り過ぎていく。半農半漁の生活なのかな?活気の感じられない街道を淡々と進む。「シートベルトはアタリメー」「交通違反はスルメー」の看板が単調なドライブを和ませてくれる。 やがて、相川町の中心街へとたどり着く。すでに18時近い。見学は諦めて宿へと急ぐ。相川を通り過ぎ、佐和田町の走り抜けると今宵の宿八幡館に着く。針葉樹の林に囲まれたアプローチを駐車場へ進む。チェックインをすませ部屋に通される。遠く海を望む和室だ。我々2人のために2部屋、つごう20畳近い広さになっている。トイレと風呂が別々でかなりゆったりとした作りだ。2人ではちょっともったいない気がした。何でも風呂が充実しているっていうことで人気の宿だったんだが、広くてきれいな風呂だった。食事は宴会場まで降りて行った。さすがに海のものが多い。サザエとかアワビとか結構高いものが出たが、わたしゃイカが良かった。こんなに美味しいものだったとは!と認識を新たにした。立てなくなるくらい喰った(笑)。 2日目。昨日、時間が足りなくて立ち寄れなかった佐渡金山に向かった。こんなところに鉱山が?って思っていると、廃坑らしい雰囲気が漂ってくる。 金山は考えていた以上の規模だった。かつての坑道の一部が公開されていて、動くお人形が当時の雰囲気を再現している。坑道が海面下になって排水に苦労したようだ。オランダから導入したスクリュー型の手動揚水機(水上輪)に驚く。採掘開始は1601年。閉山は1991年。意外にも明治から昭和初期が最盛期。江戸時代には金山のあった相川は、人口が4、5万人を数えたとのことでこれにはちょっとビックリ。さらに、江戸時代に採掘にあたった坑夫は賃金労働者で、罪人による採掘はごく少数だったらしい。無宿人(住所不定者)も少なかったとのこと。ここでは、採掘〜精錬〜鋳造まで一貫生産。(つまり、金座の役割も果たした。ただ、時期によっては、鋳造は行わなかった時期も有り。)なかなか見ごたえ有り。土肥金山とは違うね。坑道の中はかなり涼しく10度ほど。何気なく撮った写真に写ったお人形がこっちを向いていて焦った。 金山を堪能した我々は南東の端を目指した。そこには宿根木(しゅくねぎ)というひなびた町がある。江戸時代に北前船の中継地として栄えた港町で、当時の面影を残す家並みが残っている。狭い路地を抜けて歩くが、普通に生活している集落なわけで、少々気が引ける。民家「清九郎」(当時の船主の家)の見学。建物はすでに誰も住んでいないんだが、ボランティアのばあちゃんが常駐していていろいろと説明をしてくれる。そんなに大きな建物ではないが、一階と二階を合わせて6〜7間ほどある。畳敷きの部屋も。窓が少なくて薄暗い印象だが、大開口の窓を置いたりすると強度が落ちてしまうのだろう。普通の人々が一間しかない家に住んでいただろうコトを考えると、相当大きな家だろうと思われる。さらに同業と思われる「金子屋」見学。往時のにぎわいに思いをはせつつ路地を歩く。 宿根木の町はずれに千石船展示館がある。ここは、江戸時代の千石船を復元し展示してある。実際に航行出来るらしい。全長20mくらいだろうか、意外にでかい。が、これで荒れ狂う冬の日本海を航行したかと思うと、わたしゃご遠慮したいなあ。展示館の並びに佐渡國小木民俗博物館ってのがあるが、これはどー見てもかつての小学校を博物館として使っている。骨董品でなく、古民具を展示。昭和40年代ころの物まである。かつての職員室とおぼしき部屋が事務所として使われている。 昼時になったが、食事をしようとしていた小木の集落がお祭りでそれどころではない雰囲気だったので。食事を諦めて来た道を真野町方面へと戻る。350号線沿いの真野湾に面した食堂(ちょっと怪しげだったが)で昼食にする。やはりイカが美味い! 次に佐渡博物館に入ったが、ここは昨日の宿八幡館の隣だ。駐車場には1台のクルマもなく、入館を躊躇する。ここには佐渡の地質時代から近世までの歴史、民俗、信仰に関する展示がある。特別展として、土田ばくせん(佐渡出身の日本画家)の下絵展。さらに佐渡の窯元展もやっていた。人間国宝伊藤赤水もあり。野外展示もあったがこれは見なかった。 続いて、今回の旅行のメインである佐渡朱鷺保護センターである。言わずと知れた特別天然記念物のトキの保護と人工飼育を行っている場所だ。1993年、現在地に移設された。(旧名、新潟県トキ保護センター。1967年開設。これはもっと山の中にあったらしい。)NHKのプロジェクトXでも紹介されたトキの人工飼育の話はご存じの方も多いと思う。人工孵化に成功していた中国からトキをもらい、1999年にここでも人工孵化に成功。現在22羽生育。増えてるよ。つか、こんなに増えてるとは思わなかった。 割と効率よく回ったためか、ちょっと時間が余ってしまった。ので、能楽博物館に行ってみた。機械じかけの人形が能を再現していた。面や衣装の展示。佐渡はかつて世阿弥が配流された島ということもあってか、薪能が盛んに行われているとのこと。ま、こんなもんかな?という印象。ここで土産を買って送った。そういえば、佐渡ではコンビニエンスストアを見かけなかった。 両津に帰り車を返した。レンタカー屋からは歩いて今宵の宿の湖畔の宿吉田へ入った。通された部屋は角部屋で目の前は加茂湖の眺めが広がっている。別の窓からは狭い砂州の上にひしめく両津の家並みと日本海が見える。館内は、本館・新館・別館と分かれていてかなり複雑。館内設備は八幡館の方が上だが、食事はこちらの方がいい。八幡館の方が高い物が出たが(アワビとかサザエとか。)、お味はこちらの方がいいかな。部屋食だし。米は佐渡産のこしひかり。イカは佐渡の名物らしい。凍らせた柿も名物なのか。そーいえば、昨日の八幡館でも出た。 最終日は晴れた。朝起きると加茂湖の向こう側に本土と思われる陸影を見た。西山のいただき付近も初めて見た。朝9時の船で本土に戻る。ジェットフォイルは速い。しかし、高い。普通のフェリーボートの倍以上の運賃がかかる。新潟港には10時には着いてしまう。 われわれが佐渡に渡る前日、新潟港と隣接する朱鷺メッセとを繋ぐ歩道橋が崩落する事故があった。原因は未だ調査中なんだが、なにしろ昨日の今日の事件だったわけで、新潟港に向かうタクシーの運ちゃんが愚痴る愚痴る。曰く『有名な建築家だかなんだか知らないけどよ。見た目ばっかで危なっかしい橋だったよ。一人通っただけすごく揺れるんだから。おれたちゃ、そのうち落ちるよあの橋、って言ってたんだよ。』と。さらに『新潟の恥だね。』とまで。エラクご立腹だった。で、帰りの運ちゃん。『港の周りの開発も良いけど、あのホテルダイジョブなのかね。』『朱鷺メッセも外は立派だけどねえ。。。』今度は港の周りの再開発に疑問の声。何かと大変だ、新潟。 新潟駅からは新発田に向かった。特急で20分少々。新発田は小さな町。駅前は寂しい。駅から少し北に行くとちょっとはにぎやかになる。蕗谷虹児(ふきやこうじ)記念館にはタクシーで5分ほども走ると着いてしまう。わりとこじんまりしている。ニョーボに言わすと、以前に静岡であった特別展の方がたくさんの原画が有ったとのこと。(この展覧会にはわたしも行ったのだが。。。)年譜や実際の刊行物は新発田の方が充実しているとも。 帰りは食事する場所を探しながら駅まで歩いた。涼しかったので苦もなく駅まで歩いた。しかし、食事できるところが極めて少ない上に、やっと見つけても定休日ばかり。結局、駅前のミスドでよしにしてしまった。歩いて気づいたが、商店街は櫛が抜けたように、シャッターが下りっぱなしになっている店がずいぶん目について活気がなかった。新潟に戻る。各駅停車で戻ったが、2連のみで新発田到着時から立ち客多数。どこかでスマップのコンサートがあるらしかった。新潟まで30数分た立ちっ放しだった。新潟からは新幹線を乗り継いで帰ってきた。飛行機を使うわけでもないのに、新潟は思いの外、近い。意識が交通網の整備についていっていないのかも知れない。 |
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