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能登 時計回りの記

☆2007年10月06日
 わたしの住む遠州地方から北陸方面へは、本州中央部の脊梁山脈を迂回せねばならず、距離の割に時間がかかる。名古屋からは在来線特急のしらさぎ号がわたしたちを金沢へと運んでくれる。

 金沢で列車を捨て、ここからはレンタカーで能登半島へと進む。能登半島を時計回りに回って再び金沢に帰ってくる予定だ。例によってクルマはプリウス。サイズが手頃な上に排気量が小さいために(モーターも積んでいるんだが)レンタル料が安く、その上、抜群の燃費を叩き出すプリウスはレンタカーにはもってこいだ。ちなみに今回の燃費は25km/L。燃料ゲージが壊れているかと思ったくらい目盛りが動かなかった。

 さて、ポカポカ陽気の中を北上。金沢の街中を抜けると行く手に日本海が広がってくる。秋の穏やかな日差しの中で海は青かった。能登有料道路を淡々と走るうち、千里浜なぎさドライブウェイが近づいてくる。有料道路を降りて海に向かう。堤防の切れ間から海岸に出ると、クルマが広い砂浜を走っている。わりと無秩序に走っていて、最初はどこを走って良いのかちょっと面食らう。目と鼻の先に波が寄せている。波打ち際にクルマを止めしばらくぼーっとする。不思議な光景だ。

 さらに北上。やがて砂浜が消え荒々しい断崖が姿をみせるようになってくる。志賀町から輪島市にかけてのこの一帯を能登金剛と言うらしい。その中で一番のポイントと思しき厳門でクルマを止める。日本海の荒波が削った岩や洞窟があちこちにあるらしい。昭和50年代の臭いが漂うスポットだ。わたしはこういう風情が嫌いではない。せっかくだから遊覧船に乗ることにした。乗り込んでしばし待つうちにほぼ満席となった。正味20分ほどの遊覧だが、柔らかな日差しに海を渡る風が心地よかった。風波に浸食された荒々しい海岸線を海側から見るのも面白い。とはいえ、特筆すべき景観であったかと言われれば微妙なわけだが・・・。

 厳門の先、志賀町富来というところに"世界一長いベンチ"というのがあるらしい。何でもギネスに載っているとかでかつて盛大にイベントを行ったらしいと言うことで立ち寄ってみた。道の駅の裏手から浜に出ると、そこに長々とベンチが横たわっていた。って、それだけなんだけどね。お約束だと思われるが、ごろっと横になって海を眺めた後クルマに戻った。
 次に関の鼻とヤセの断崖に向かったが、一昨年能登半島を襲った地震のために崖が崩れて立ち入り禁止となっていた。悔しいかったので笹波の棚田を見に行ったが、すでに稲刈りが終わった後で殺風景だった。

 関の鼻等を過ぎ、輪島に向かう途中で通った集落(大沢町辺りだと思う)で昔ながらの竹囲いを見た。たぶん、冬の季節風を避けるためだと思うが、集落全体を竹で覆ってしまっていた。以前、TVのドキュメンタリーでこの手の竹囲い見た記憶があるが、それが能登半島だったかは覚えていない。日本海側であったことだけは確かだ。(この竹囲いは間垣と言うらしい。)
 輪島の手前で落日となった。ゾウゾウ鼻の展望台で日本海に沈む夕日を眺めた。岩肌を赤く染めて沈んでいく夕映えは圧巻だった。こんなに見事な落日はめったにお目にかかれないらしいことを、その日泊まった宿の仲居さんから聞いた。

 輪島に入った。こぢんまりとした町だ。今宵の宿はホテル高州園。輪島の町を北に抜けかけたところにある。驚いたことに通されたのは特別室だった。二間続きの広い部屋だった。窓の外には日本海が広がっている。部屋食で食事中に女将が挨拶に来た。これにもビックリした。食事は海の幸が中心ですべてが美味しかった。ことさらにめずらしいものはなかったけれど、鮮度が良いんだろうと思う。それに料理が最初から並んでいるんではなくて順番に運んできてくれるので、暖かいものは暖かい状態で頂けるのがうれしかった。

 

 

☆2007年10月07日
 翌日、朝市に行った。朝市とは言っても昼近くまでやっているらしい。もちろん、お客は観光客ばかりだが、売っているものは素朴な地元のものばかりだ。季節柄、唐辛子をたくさん売っていたので一つ買い込んだ。地元のおばさんが花の咲いたキンモクセイの枝を買っていったのに驚いた。(こんなものもお店には並んでいたのだ。)

 さて、今日は能登半島の突端まで行く。この日も良い天気だった。千枚田、塩田と通っていよいよ禄剛崎灯台が近づいてくる。灯台のある集落は狼煙というらしい。駐車場にクルマを止め(有料だ)、小高い丘の上にある灯台に向かって坂道を上る。歩行数分で小広い台地状の広場が現れ、その一角に灯台は立っている。が、なんとも背が低くてかわいらしい。この日は無料開放の日とかで、灯台の中のヒト(海上保安庁の人)が案内をしてくれた。制服を着て写真を撮ってもらえるようだったが、それはパスした。狼煙の集落には港があった。トンビが低く飛んで長閑な朝だった。

 同じ能登半島でも西海岸と東海岸では雰囲気が違っている。西海岸は荒涼とした中にも明るさが漂っていたが、こちら側は寂寥感が漂う風情だった。なぜそう思ったのかはよく分からない。
 昨日も今日も、何だかバイクが多いなあと思っていた。しかも、アメリカンタイプのバイクばかり何でこんなに走っているんだろうと思っていたが、どーやら、この日、珠洲でハーレー乗りが集まるイベントがあったらしい。

 その珠洲で珠洲駅跡に行ってみた。かつて、のと鉄道が半島突端に近い蛸島まで走っていた頃は珠洲駅が大きな駅の部類だっただろうと思う。駅舎もホームもそのまま残っていた。元駅舎は観光協会と郵便局が使っているらしかったし、建物の前にはタクシーが客待ちをしていた。しかし、廃線後というのは寂しいものだ。こんな場所を辿り歩く趣味があると言うから、人の興味というものは面白いものだと思う。現在、のと鉄道は穴水までの運行となっている。
 
 昼食を済ませた後は、ひたすらクルマを走らせ、能登町、穴水町と駆け抜けた。そして、この日最後の訪問地のとじま水族館に到着した。閉園まで1時間しかなかったが迷わず入った。いるかショーの最終回に間に合った。正直、どこにでもあるような何の変哲もない水族館だが水族館好きなわたしたちはしっかり堪能した。

 この日の泊まりは和倉温泉のあえの里。非常に派手で豪華な作りの、ホテルというより旅館の風情だ。その最上階に部屋が用意されていた。さすがに特別室ではなかったが、部屋の造作は前日よりもしっかりしていた。もちろん、オーシャンビューだ。
 食事は残念ながら部屋食ではなかった。(部屋食の予約はすでに一杯だったのだ。)夕食は、芝居小屋風に作ったレストランで歌謡ショーを見ながらというコトに相成った。別にだからってうれしいわけではない。普通のレストランは別にあるんだが、宿の好意で芝居小屋風のレストランになったらしい。料理はさすがに高いものが並んだ。が、暖かいものが少なかった。
 

 

☆2007年10月08日
 『朝食はバイキングなのかよ。』前日チェックインしたときにそう思った。ところがここのバイキングはちょっと変わっていて、出汁巻き卵とか焼き魚とかを目の前で作ったり焼いたりしてくれるのだ。料理の種類も非常に多い。特に和の食材がとても充実している。その日の午後、兼六園の帰りに掴まえたタクシーの運ちゃんが、あえの風の売りは朝食だねと言った言葉は十分にうなずけるものだった。

 朝から雨である。この日は兼六園に行くことしか予定に入ってはいなかった。金沢に直行するなら能登有料道路を走れば良いわけだが、地図を見ていて思いついた。『砺波平野の散村とやらを見てみようかな。』集村が多い日本にあって散村形態は珍しい。一度見ておきたいと思っていた。七尾→高岡→氷見と走って砺波に向かう。雨が次第に強くなっていく。高速上から砺波平野の散村が眺められる。屋敷の回りを囲む高い木立が特徴的だ。地平面に降りて平野の真ん中を走るが激しく降りしきる雨に煙って遠くが見通せない。仕方なくそのまま金沢に向かう。

 金沢駅前でクルマを返し、兼六園へはタクシーを使う。前回来たときには寝坊したために駆け足で通り過ぎた兼六園だった。(北陸早駆けの項を参照。)リベンジの今日は、雨。「雨もまた一興。」とうそぶいて園内に入る。団体さんに紛れてガイドさんの説明を聞く。幸い雨は小やみだ。庭園は周囲より小高い場所にあるのに、どうやって水を引っ張り上げているんだろう。ふと、そう思った。『こんなに広かったんだぁ。』などとも思いつつ園内をそぞろ歩くうちに電車の時間が迫って来た。帰りのタクシーは良く喋る運ちゃんで退屈しなかった。リニューアルした金沢駅についてのレクチャー(笑)が終わる頃、クルマは駅ロータリーに着いた。駅のホームは乗客でごった返していた。ほどなく降りしきる雨の中をしらさぎ号が姿を見せた。いよいよ旅もフィナーレだ。