宮崎・鹿児島 |
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いつも思うことなんだが、みなさんは出発時間のどのくらい前に空港に着いているんだろうか?今回も1時間前に着いたにもかかわらず、チェックインすると座席は機体後方の通路側しか空いていない。早くついて何をしているのかも、結構、謎だったりする。 ま、それはともかく、宮崎空港はなかなか大きな空港でビックリした。さすがにかつての新婚旅行のメッカ(何がさすがなのか?)。空港近くで車を借りてスタートする。とりあえずは青島。鬼の洗濯板と呼ばれる地形は一カ所だけのものかと思っていたが、あの一帯に点在するんだね。海を見ながら快適なドライブが続く。(クルマはお気に入りのプリウスを借りた。) 今回は、相方の具合がいまいちだったので、車に乗っている時間が長かった。暑いこともあった真っ直ぐに都井岬に向かった。驚いたことに、岬の一角に入ろうとするところにゲートがあって、都井岬界隈の環境保護のために、岬に向かうクルマから料金を徴収していた。岬の一帯は牧草地のような雰囲気になっていて、ところどころで馬(トカラ馬?)が草をはんでいる。サルもいる。岬の灯台は何の変哲もない。その途上に宿泊地の都井岬観光ホテルはあった。周囲には廃業したと思われるホテルが多数あった。その昔は観光客でにぎわったんだろうが、今ではお客さんが減ってしまったんだろう。都井岬観光ホテルは、ごく普通の観光地のホテル。スタッフがみんなアロハシャツを着ていたが、わたしには多少違和感があった。ってか、最初、客かと思ったぞ。部屋からは太平洋が一望できて、なかなか爽快。部屋もなかなか広くて、その上、なんだかみょーに落ち着くのは何故。ま、建物そのものは築30年あまりはあろうか、少々老朽化は否めない。食事は、これまたごく普通。とびうおの刺身がちょっと珍しいか? 翌日。この日もほとんどドライブ。取りあえず、えびの高原に向かう。カーナビ様の言うとおりに走る。なんかちょっと遠回りをしているような気がしないでもない。実は、えびの高原には20年ほど前に行った。ニョーボも15年ほど前に行ったらしい。その時は小林からバスで入ったと記憶している。今回は南側の霧島神宮方面からのアクセスとなった。キャンプ場やらコテージややらのある一角に着い時にはすでに午後になっていた。以前に来たハズの所なんだがまるで覚えていない。あの時(学生時代)はここがクラブの合宿の集中地(集中地とはいろんな場所を歩いた各パーティが日程終了後に一同に集まる場所のこと。)で、コテージに泊まって韓国岳に登ったりした。3月だったのでかなり雪が積もっていた。しばらく走るうちに記憶に残る場所が出てきたが、ずいぶんと変わってしまったような気がする。もちろん、景色そのものには変わりはないのだが。 えびの高原を下ったわれわれは桜島に向かうことにした。大隅半島側から回り込んで、大正時代の噴火によって地続きとなってしまったいう場所を通って桜島に入った。さんざん悩んだ結果、島の北側を回ってフェリー乗り場に向かうことにした。途中、例の噴火によって埋まってしまった神社の鳥居を見た。小学校と中学校に挟まれた狭い所に鳥居はあった。結構、見学者が多いのに驚いた。実は、桜島は島の東側の鹿児島市街地から見えない方が鹿児島市になっている。何かヒドク暗い感じのする寂しげな場所だった。島を半周するように西側に回り込んでいくと、そこは桜島町という別の町になる。こちらは正面に鹿児島市街地を望む位置となり、町にも活気と明るさが見られるようになってくる。ちなみに、フェリー乗り場に向かうメインルートは島の南側を通る道である。 ここも20年前に来たことがある。合宿の集中が終わった後、真っ直ぐ帰るのはもったいないってことで、先輩と訪れた。そして、国民宿舎に泊まった。ところが、港の周りの風景は一変していて、同じ港とは思えない。泊まった国宿のたたずまいは変わってはいなかったが。さらに、フェリーボートにまたビックリ。クルマの搬送デッキが2層になっている。つまり、クルマを乗せる場所が二階建てなんですわ。クルマの固定も木の輪留めを噛ませるだけ(おいおいダイジョブか?)。たった10分で鹿児島市街地へ。夕映えに染まる桜島の眺めはかつてのままであった。 今宵のお宿は、城山観光ホテル。市街地を見下ろす城山の一角にあるなかなか気品と風格のあるホテル。ジュビロの鹿児島キャンプの時の宿舎となっているホテルかも、と密かに期待していったわたしだったが、そーなのか、そーでないのか分からずじまいであった。(たぶん、違うのでは?) わたしの勝手な感想なのだが、このホテルは非常に微妙なコンセプトで運営されているようなきがした。つまり、都会風のシティホテルとしての一面と、観光客相手の観光ホテルとしての面とをどうやって折り合っていこうか苦心しているような気がしたのだ。ロビーやレセプションのあるフロアーや最上階のレストランはまさにシティホテルのそれ。大浴場や土産物コーナーは温泉ホテルのそれ。4Fより上のフロアなら浴衣にスリッパで廊下を歩いてもOK。ただ、観光ホテルとしての色はあまり前面に出したくないと見た。いや、風呂は良かったですよ。実に。浴槽だけでなく、脱衣場がドレッシングルームって感じで非常にお洒落な感じでしたから。 とか言いつつ、実は。。。城山ホテルさんの中を思い出すのに一苦労してしまったんだわ。というのも、鹿児島から帰ってスグ、オールスターサッカーを見に行くためにヒルトン東京に泊まったんだが。。。JR東海ツアーズのパックで部屋を取ったハズなのに通された部屋がエグゼクティブフロアーにある部屋。なんかその印象が強烈で。。。申し訳ないッス。 夕食は最上階のフレンチレストランでフルコース。地元鹿児島や隣県の素材にこだわった料理でした。メインディッシュは宮崎地鶏のソテー。雰囲気も含めてなかなかなものであった。 明けて3日目。めちゃめちゃゆっくりとチェックアウト。指宿スカイラインを南下して知覧へ。江戸の頃の町並みのうち、武家屋敷のだった界隈に当時の雰囲気が残っているということで、町並みを保存。建物は建て替えられているものの、庭がかつてのままに保存されている。ずいぶん広い範囲を保存地区に指定してあった見ごたえがある。いままで、ずいぶん武家屋敷と銘打った場所を見てきたが、ここが一番かな。次に、やはりここにかつてあった陸軍の知覧航空基地にまつわる記念館へ行った。知覧特攻平和会館という。名前が示すとおり、第二次大戦中の特攻作戦で死んでいった将兵たちの死を無駄にしたくないとの思いで作られた施設だ。施設の中は彼らの遺影や遺品がこれでもかと展示してあり、胸が詰まる思いである。職員なのかボランティアなのか、時折、語り部の話が聞かれる。これも一聴の価値ありかと。価値ありと言えば、展示されている戦闘機も貴重だ。特攻に使われた機材のうち、飛燕(陸軍3式)・疾風(陸軍4式)が展示してある。しかし、人殺しの道具が何故にかように美しいのか?不条理を感じるわたしでした。 さて、今宵のお宿は指宿温泉。ホテル秀水園。前夜の鹿児島とはまったく正反対の純和風旅館。駐車場にすでにスタッフがスタンバっていて荷物を運んでくれる。玄関には綺麗なおねいさんが3人。三つ指をついてお出迎えだ。歴史と格式を感じさせる。仲居さんに案内されて部屋へ。こざっぱりとしている。ん〜、畳の部屋が落ち着く(笑)。 指宿に来れば砂むし風呂。ニョーボは、未だ本調子ではなく悩んだ末に砂にむされることに。宿から浴衣で砂むし会館「砂楽」へ。通りを浴衣で歩いてるヤツなんかいなくて恥ずかしいぞ。砂むし会館は近代的な建物。受付で砂むし用の浴衣を受け取って更衣室へ。指定の浴衣に着替えてタオルを1本もって建物裏手の海岸へ。海岸はふつーに出入りできる海岸だが、一角が小屋掛けしてあって、そこが砂むし風呂だ。入口でしばし順番待ち。立て看板に、「干潮時に波打ち際から熱い湯が沸き出す」ので注意って風のことが書いてあった。さて、小屋掛けに入る。入っている人たちはなんかミイラみたいだ。指定された場所(すでにちょいと掘り返してある)にタオルを頭にかぶって寝ころぶ。背中が熱い。で、係のおばちゃんが砂をかけてくれる。最初は左半身。そして右半身。最後の頭のまわり。。。入浴時間は10分〜15分。柱に時計がかかっている。砂の重みと暖かさが心地良い。サウナよりこっちの方がいいなあ。浜辺を渡る風が顔を撫でていって、これまたよい。砂からあがったら、普通のお風呂で砂を洗い流しておしまいとなる。 夕食は部屋でとる。やはり、日本旅館は部屋食に限るなあ。懐石料理だ。ゆっくりと時間を掛けての食事はやはり良い。仲居さんお勧めの焼酎を試してみる。銘柄を失念してしまったのが残念。 最終日。宿の仲居さんたちがクルマが見えなくなるまで手を振って見送っていただく中をとりあえず、長崎鼻に向かった。ここもかつて訪れた。岬の先端にまで進んでやっと思い出した。ここから見る開聞岳はやはり美しい。さて、次にどこに行こうか?と考えていて時間がないことに気づいた。仕方なく空港に向かう。鹿児島空港は鹿児島市街地から見てずいぶん北にある。バスを使ったら1時間以上はかかるんじゃなかな。鹿児島空港には出発の1時間ちょっと前に着いた。例によって後方の通路側。で、土産を買ったり、食事をしたりしているうちに出発の時間が迫ってきた。ところが、手荷物検査が長蛇の列。並んでいる間に最終搭乗案内。慌てて乗り込む結果となった。ま、今年の冬の新千歳の失態よりはマシだったが。。。 |
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