肥前・筑紫記 |
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2007年8月18日(土) ハウステンボス駅からテンボスのゲートまで行く途中にこの日のお宿、JR全日空ホテルがある。時間が早すぎてチェックインは出来ないが荷物をクロークに預けてテンボスに入国することにした。ハウステンボスを訪れるのはこれで3回目。とはいえ、2度目が10年以上も前のことだからずいぶん変わってしまったかも知れないと思いつつの入場だ。ちなみに、テンボスはただいま会社更生法に基づき再建の真っ最中だ。入ったアトラクションなどは、テディベアキングダム、ミステリアスエッシャー、Kirara、オルゴールファンタジア、シーボルト出島蘭館、大航海体験館、ドムトールン。このなかで以前に来たときにも入ったのは大航海時代とタワーだけ。Kiraraが愛知万博からの移設だが、それ以外が以前からあったのかリニューアルのものなのかは不明だ。(エッシャーなんかはなかったような気がする。)さらに、他の愛知万博からの移設アトラクションにも入りたかったが時間の都合で断念した。 夏のハイシーズンの割には人では少なかったような気がする。TDRあたりを基準に考えてはいけないんだろうと思うが、もうちょい人が入らないと経営的には苦しいのかも知れないと思う。もっと大都会に近い立地だと来場者は増えるだろうが、長崎でないとオランダである必然性がなくなってしまうし難しいところだ。 ホテルはなかなかきちんとした良いホテルだった。外観がテンボスに合わせて古風に作られていたが、なかはいたって普通。部屋も割と広く調度品もしっかりしていた。通された部屋がテンボスの見える側で夜打ち上げられた花火も見られてよかった。(かなりしょぼかったが・・・)このホテルにはテンボス内を航行しているキャナルクルーザーが直接乗り入れるための桟橋が用意してあった。これを使えば楽々行き来が出来る。(残念ながら気づくのが遅くて使えなかったが。)
2007年8月19日(日) 佐世保脱出に手間取ったがとりあえず有田へ。窯元をめぐってもしゃあないので、佐賀県立九州陶磁文化館へ。ここは焼き物についての概略を説明するコーナー(例えば、陶器と磁器の違いとか、製造工程の説明とか)があり、焼き物についての基礎知識を確認した後で各展示室で実際に古伊万里とか景徳鎮とかを見る段取りになっている。(わたしたちは回る順番を間違えた)しかし、収蔵品の数が半端じゃないよ。とりわけ、柴田コレクションが秀逸。有田に釜が作られるようになった初期の頃から、オランダ東インド会社を通じて盛んに輸出された時期、続いて輸出が激減して衰退した時期、さらに幕末になって再び息を吹き返す時期と時間を追って展示されている。これを見れば有田(伊万里)焼の歴史が一目で分かるようになっている。しかし、この膨大なコレクションを個人で(夫妻で)作り上げたというのだから恐れ入る。柴田夫妻とは一体何者なんだと思わざるを得ない。もちろん、文化館自身でもたくさんの作品を収蔵しているわけなんだが、これらを無料で公開しているというからさらに恐れ入る。入館料を1,000円取ったってそれに値すると思うワケだが、それを惜しげもなくタダで見せていただけるとは、佐賀県天晴れと言うべきか。 次なる目的地は吉野ヶ里遺跡だ。実を言うと吉野ヶ里に行くのはこれで4度目。何と酔狂なと思われる方も多いと思うが、実際に酔狂なんだから仕方がない。一番最初はまだ盛大に発掘調査中のころだったが、3度目は7年ほど前のこと。しかし、訪れるたびに姿を変える様には驚かされる、発掘調査中に行った時とは比べものにならないのは当然のこととしても、7年前の時との違いにも驚かされた。第一、遺跡への入り口からして違っていたし、立派なビジターセンターが出来ていたし、復元家屋の数が圧倒的に違う。ホントに村の様に復元されていて、傍らには職員なのかボランティアなのか貫頭衣をまとった人たちが弥生人の生活を再現している。例えば、火をおこしてみせたり、土器を焼いて見せたり、布を織って見せたり・・・。努力は買えるが今ひとつインパクトに欠けるというのがニョーボの意見だ。ま、当日、暑すぎたね。熱中症対策なんだろうが、ぬれタオルとうちわを頂けたのはありがたかったし、編み笠を貸していただいたのも助かった。 さあ、あとは柳川に行くだけだ。吉野ヶ里からは1時間とかからなかった。お宿は御花松涛館。20年前に柳川を訪れたときも泊まった。かつて、柳川藩主の立花氏が別邸として使い、明治以降には華族となった立花氏が迎賓館代わりに洋館を建てて使っていた邸宅が今は旅館として使われている。経営者は立花氏の末裔だ。もっとも、洋館やそれと棟続きになっている旧屋敷は公開展示されて宿として使われてはいない。宿泊棟は近代的な鉄筋の構造物だ。ただ、かつて殿様が居室や書斎として使っていた部屋は食事の際に使われていた。わたしたちはそのまさに書斎として使っていた部屋に通されて夕食をいただいた。ちょっと落ち着かなかったケド。通された部屋が広くてまたビックリ。2Fながら和洋二部屋続きに窓沿いの通路もいれれば、20畳を越える広さとなろう。これに玄関やユニットバスを加えればもはや、住める。(御花は2005年の地震で壊れた部分を本格復元改修。今年の始めに完成したもののようだ。)唯一の欠点はお風呂が小さいこと。これは部屋風呂のことではなく共同の風呂のことだ。一応温泉成分は入っているが沸かし湯なんだそうだ。わたしは風呂にはこだわらないが、看過できない人もいるだろう。そおゆうひとにも福音はある。宿から見えるかんぽの宿。ここに立派な温泉がある。宿からは裏庭を抜けてお堀を橋で渡れば5分とかかるまいと思う。宿で入湯券を買えば200円引きの300円だそうだ。 柳川に行ったらやはり川下りせねば。20年前に訪れたときには川下りはしなかったから今度はしておきたかった。が、時間が遅いと言うこともあって通常の半分の30分コースで良しにした。ただ、船頭さんは短いけどこっちの方が風情があるよとフォローしてくれた。しかも、船はわれわれの貸し切り。船頭さんの説明と歌など聴きながらのんびりと船に揺られるものいいもんだ。
2007年8月20日(月) 朝食は食堂で取ったが、これもなかなか華やかで洗練されている。一人ずつに板海苔をまるっと一枚出すあたりが憎い。太宰府へはあっさりと着いてしまった。で、国立博物館はどこ?って思っていたらニョーボがとんでもないことに気づいた。今日は月曜日。ふつー博物館や図書館といった公共施設は休館だ。一応、行っては見るがやはりお休み。仕方なく、天神さんにお参りして帰ることにする。太宰府天満宮にはこれで5回目(たぶん)。この日は道を間違えていつも止める駐車場ではない別の場所に止めた。門前町を抜けて、さあこれから境内へと言う段になって急に雨が降り出した。これまたカメラを持っているのであんばいが悪い。で、梅ヶ枝餅で食べて止むのを待とうと言うことになり、参道上から左三軒目の店に入った。焼きたて熱々のお餅を頬張りつつ雨止みを待った。やや小降りになったのでお参りに向かった。驚きべきコトに参道で聞く言葉は朝鮮語や中国語ばかり。 クルマを返す時間が迫ってきたので天神様を後にして帰途についた。R2〜福岡都市高速と走り博多駅直近の営業所へ。プリウスくんは一体何キロ走ったのか確認し忘れたが、給油したら燃料費は1,200円ほどだった。200kmは走っているはずなので、燃費は25km/Lほどにもなろうか。驚異的な燃費だ。現行モデルのプリウスに乗るのは初めてだったが、先代に比べてずいぶん洗練されていた。モーターとレシプロエンジンとの連携はいっそうなめらかになっていたし、ガタイが大きくなって、中も広くなってゆったりとしている。モータだけで走る電気自動車モードなんてのもあって面白かった。高速、郊外、街中といろんなシチュエーションで走ったが、満足できるレヴェルだ。普段、大排気量のちょっと走りに振ったクルマに乗っているんで出足や足回りに気になる点はあるが、わたしの車がふつーじゃないんで比較してはいけないんだと思う。 さて、博多駅近くで昨年立ち寄ったラーメン屋(おっしょいラーメン)に向かった。博多ラーメンとしての水準はわからないが、私達には十分美味だった。しかも、ラーメン1杯420円、替え玉100円の安さ。今度行ったら『替え玉、硬麺で』とかジモティっぽく頼んじゃおうかなと思った(笑)。帰途の新幹線は500系だった。
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