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橋立・餘部・城崎温泉

2008年3月20日(木)

  天候が思わしくない中をまずは京都へ向かう。京都で山陰線に乗り換えて橋立へ。福知山より北近畿タンゴ鉄道に入り橋立まで。
 橋立駅で降りて、取りあえず宿で荷物を預かって貰うことにした。
 さて、天橋立だが宿からは歩いて2・3分だ。歩いて向こう側まで行くことにした。橋を渡って砂嘴に入ると松の間を小道が続いている。一宮まで歩いて、リフトに乗ってビューポイントまで上がる。隣にはケーブルカーが並んで走っている。上に上がると橋立が一望できる。もちろん、股の間から橋立を眺める。これはお約束だ。この展望所の奥にお寺があるらしい。せっかくなので行くことにした。成相寺と言うらしい。バスで往復した。急勾配の細い道を行くこと数分。木立の間に突然五重塔が現れた。が、ずいぶん新しい。本堂はそれなりに重厚な感じだが、何とも趣に欠ける。整備の最中といった感じだった。一宮まで戻って宿に帰ることにした。帰路は船を使うことにした。流石に速い。
 今宵のお宿は文殊荘。1Fのお部屋で庭までついている。庭の向こう側は水路になっていて船が行き交っている。驚いたのは宿帳を部屋に通された後で書いたこと。客を帳場(レセプション)で立たせたまま記入させるなんて無粋なことはさせませんってことなんだろうか。夜になって腰が痛み始めた。
 


2008年3月21日(金)

 予定では、餘部鉄橋を経由して城崎温泉に向かう。早めに投宿して温泉場を楽しもうという計画だった。ところが、腰の痛みが如何ともし難く、まず通院することにした。宿で整形外科を紹介して貰った。診察の結果はたいしたことは無かろうと言うことで、電気治療の後、湿布を貰って病院を後にした。橋立駅に戻って善後策を検討。滞在時間は短くなるが、餘部に行ってこられそうだ。次の列車までにはまだ間があるので、昨日とは反対側の展望台に登ることにした。例によって、リフトとケーブルが並んで走っている。上に登るとエラク寂れた遊園地がある。それなりに堪能して帰ってきた。
 本来なら各駅停車で行くはずのルートを特急列車で駆け抜けた。豊岡で山陰線に戻り、ここからは各駅停車の旅だ。城崎で乗り換えいよいよ餘部鉄橋に向かう。
 餘部鉄橋は"鉄"な人じゃない人たちの知名度も割合に高い。それは、その美しい姿に加え20年ほど前に起きた列車の転落事故ゆえではないかと思う。鉄橋を通過中の列車が、折からの強風に煽られ機関車を残して橋の下に転落。多くの犠牲者を出した。列車が回送列車だったのは不幸中の幸いと言っても良いのだろうか?ともかく、列車側の犠牲者は車掌の1人だけだったように記憶している。
 その餘部鉄橋が老朽化のために掛け替え工事を行うという。掛け替えられる新しい橋はもちろんコンクリート製の今風の橋だ。すでに新橋の工事は始まっている。架橋工事のために鉄橋の撮影ポイント(通称お立ち台)がこの4月の初旬で閉鎖されるという話で行く気になったわけだ。(すでに閉鎖されています。)

 餘部鉄橋を見に行こうなんて酔狂なヤツはほとんどいないだろう、いても純正の"鉄"だろうと思っていたが、餘部が近づくにつれてざわめく車内を見て『ありゃ、酔狂なヤツらかなりいそうだぞ。』と思うにいたる。餘部駅に到着する直前、列車は鉄橋を通過する。鉄橋上から見下ろす海岸道路はカメラを構えた観光客がワラワラしている。はたして餘部駅に到着すると降りる降りる降りる。鉄分高さそうなオタッキーなヤツが多いのは想定の範囲内。いや、しかし大変なことになっている。中に一人、地元の女子高校生がいた。駅構内でウロウロするわれわれを尻目に脇目もふらずに坂道を降りていった。
 とりあえず、お立ち台で写真撮影。ホントはここで鉄橋を走行する特急列車を撮影して帰るハズだったのだが、腰痛のために予定が変わってしまった。この付近の山陰線はダイヤが薄いんでなかなか思うようにはいかない。それでも餘部滞在時間は40分ほどになる。一旦、鉄橋下の集落に降り海岸線まで出てみる。そこで何枚か写真を撮っているうちに折り返しの列車の発車時刻が迫ってくる。一汗かいて駅まで登ると程なく列車が入ってきた。駅には観光客を整理するために職員が派遣されていた。
 城崎まで戻り宿に向かう。今宵は西村屋だ。城崎温泉きっての老舗らしい。駅前の温泉のまえでぶらぶらしていると宿からのお迎えが来た。迎えの車は黒塗りのクラウンだった。温泉街を走り抜けたかなり奥まった場所に宿はあった。門構えが重厚だ。歴史と気品を感じる玄関。正直、ちょっと場違い。迷路のような本館を抜けた先の平田館にわれわれの泊まる部屋はあった。もちろん、本館の方が古いが、平田館も築50年以上の木造建築だ。本館にしても平田館にしても長い年月を経ている割にはしゃんとしている。いい部材を使って手間暇かけて建てているんだろうと思う。調度品も良い設えのものを使っている。庭もまた素晴らしいが、残念だが本館の庭の方が数段良い。ここでも宿帳は部屋に通された後で書いた。食事は蟹懐石。
 食後、温泉街をそぞろ歩いたが、部屋は着流しが用意してあったのでこれを使った。正統派温泉場には無くてはならない射的がきちんとある。




2008年3月22日(土)

 最終日。そのまま帰るのはもったいないので半日だけ京都に寄ることにした。半日を効率よく回るために観光タクシーを頼んでおいた。正味3時間ほどしかなかった。案内役の運転手氏には『もっとゆっくりとじかんがあったらねえ。』を連発された(苦笑)。
 まずは東寺。帰ってから同僚に話したら、『東寺?渋いねえ。』と唸られた。運転手氏は『ここは行っておかないと。』と行っていたような気がするんだが。もちろん、わたしたちは初めて訪れたわけだが。思ったより広く、思ったより良いお寺だった。
 次に三十三間堂。運転手氏曰く、『ここも外せないですね。』実は、三十三間堂は中学校の修学旅行で来ている。まわりの様子は忘れてしまっていたが、お堂の中は覚えていた。最後に外側からぐるっと回って後にした。
 3つめは方広寺。家康が難癖を付けた「国家安康」の釣鐘のある寺だ。お寺自体は小さなお寺で実に質素だ。ご本尊の撮影も自由とおおらかだったりする。で、お隣の豊国神社に行ったところでタイムリミット。京都駅に戻って京都タワーや駅で構内で時間を潰すうち電車の時間となった。あとはのんびりと帰るだけだ。