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もっと中国!

 新婚旅行が中国だった。って言うと、たいていの人は「えっ」という顔をするか、または「ふ〜ん」でおわり。言外に「なんでそんなとこ行ったの」という表情が読みとれる。ま、中国が新婚旅行で選ぶ先としては、超マイナーなのは承知だが、ハワイやグアムやサイパンには行きたくない、ってのが2人に共通した認識だった。

 一言に中国と言っても相当広い。私たちの旅行はほとんで点と線の旅で北京と西安と上海に行っただけだ。そして、中国の変貌は激しい。私たちが行った頃のの中国と、香港を回収した今日の中国とでは、そーとーな違いがありそうだ。
 まず、北京へ。北京国際空港は北京市街の東北の隅にある。気温はかなり高いようだが、湿気が少なくカラっとした印象だ。わたしたちツアーの一行は、老若男女取り混ぜて20人ほど。なんとなく不倫の匂いのする二人連れとかがいて、おいらたちは『なんかあやしいよね。あの2人』なんて言ってたわけだが、実は、この一行の中で一番怪しまれていたのは、おいらたち2人であった。というのも、われわれ2人連れは一体どう言った関係なのか、図りかねたらしいんだな。ぱっと見、わたしは大学生に、ニョーボは高校生に見えたらしく、兄弟にしてはヘンだし、夫婦にしては若すぎるし。。。ってことで、夫婦であることがわかったときには、いやあー、質問の集中砲火を浴びてオドロいた。ってそんなに怪しかったか、オレたち。
 さて、バスで北京市街地に入る。高層アパートも林立し、なかなかの大都会だ。道路に信号がほとんどない。道は広い。幹線道路は片側4〜5車線ほどあるんだが、クルマはそうたくさんは走っていない。大きな交差点はほとんど立体交差になっていて、ちょうど日本の高速道路のインターチェンジのような感じで合流する。走っているクルマはほとんど外国製ばかり、一番多いのがドイツ車、次が日本車だ。
 宿泊したホテルは、北京国際飯店。(飯店とはホテルのことである。)北京中央駅に程近く、4☆級の高級感あふれるホテル。日本ぢゃあこんなに良いホテルには(高くて!)泊まれない。恥ずかしながら、ルームキーがカードエントリーのホテルに初めて泊まった。(一度、磁気の不調から入室できなくて慌てたぞ。)
 夕食は北京料理。油ギトギトで香ばかりが強いものを想像していたが、わりあい違和感なく食べられた。(後日気づいたが、日本人風の味付けをしてくれていたらしい)翌日の食事で北京ダックが出た。皆さん、ご存じと思うがなんともゼータクな料理だねぇ、ん〜。
 さて、北京での見学地だが、市街地にあるものでは、まず故宮。これはかつて柴禁城と呼ばれた明清代の皇帝の居城だ。今は一般公開され、中には故宮博物館もある。宮殿の大きさ壮麗さに、かつての皇帝の権力の大きさが忍ばれる。様々な儀式が行われた大和殿の前庭(写真)に文武百官が並ぶ様はそれは壮観であったろう。博物館の展示物もすごいものばかり。中学や高校のころ教科書に写真が載っていたものホンモノが、実に無造作にローカの(展示室ではない)ショーケースにならべられていたりする。その他、天安門前広場とか天壇とかをみたが、郊外にも出た。 北京市街地からクルマで2時間くらい走ると山が迫ってくる。山並みを縫うように進むと、かつて北京防衛の砦であった八達嶺に到着する。ここは、総延長、ん千キロといわれる万里の長城の砦の1つ。これもちょっとしたもんだ。山そのものはそう険しくはないんだが、なにしろ、高さが数m〜10mほど、幅も数mもあろうかという城壁が、遥か山並みの彼方まで延々続いている。これまた、教科書で見た写真そのもの。実際に歩いてみると、これが結構な傾斜だ。きついところは階段状になっている(写真)。立ち入ることの出来る場所に制約があるため往復40分ほどの城壁歩きであった。
 夜、ちょっと町をうろついて見たが、いたって治安は良いようだった。町は夜遅くまでにぎわっていて(北京百貨店は9時過ぎまで開いていた。)たくさんの人たちが通りを行き来したり、あるいは夕涼み?をしている。バスも頻繁に通るが、中が真っ暗なので回送なのかと思うとぎっしり満員だったりして、これにはちょっとぎょっとした。


 次は西安だ。北京から空路1時間と少し、機中から黄河の流れを眺めながら。西安は、その昔長安と呼ばれ、長く都の置かれていた町である。日本で言えば京都のような存在だろうか。そのせいか、静かで落ちついた感じの町だ。北京などでは取り壊されてしまった城壁がまだ残されている。(写真)
 その西安郊外にあの秦の始皇帝の墓がある。そう、始皇帝陵だ。中国全土で数10kmしかない(1991年当時)と言う高速道路を走り1時間ほどだろうか、右手に小高い森が見えて来る。非常に自然な感じなのでが、これが始皇帝陵だ。長年の風雪で高さが2/3ほどになってしまったそうだが、70m程あるということだ。(写真下)そこからさらに10分ほど走ったところに、これも有名な兵馬俑坑がある。俑はほぼ等身大で確かにひとつひとつ表情が違う。中国の人たちってのは結構豪快なようで、発掘現場に上から体育館の屋根みたいなおおいをかけちゃって一般公開しちゃっている。その上、おおいのかかった一角にはまだ未発掘の部分があって、「これから、ぼちぼち掘って きます。」 とかのんきだ。






 西安のホテルは唐華賓館という日中合弁のホテルで、なんと日本語が通じた。


 3つ目の訪問地は上海。ここは結構雑然とした感じの町だった。この町を歩きながらカオスって言葉が頭に浮かんで消えた。
 戦前、列強が争って租界を作ったこの町は、他の中国の町とは違った雰囲気を持っていそうだ。当時から、上海は経済開放路線の先端を走っていて、1991年当時としては珍しかった個人商店が軒を連ねていた。ここで、予定になかった上海雑伎団の公演を見に行くことになった。パンダが芸をしたり、かつてCMにも使われた鉄棒をするネコとか、それなりに面白かった。サーカスに比べて大技が少ないかな。行き帰りの雑踏もすごかった。
 上海の宿は上海日航ホテル。
 上海から日本(名古屋)まではあっと言う間だ。2時間とちょい、位だったと思う。この日は、非常に良い天気で、眼下には日本列島が地図の様に(って当たり前か)きれいに広がっていた。大阪、神戸といった都市部はその上空はガスがかかったようにくすんでいた。
 もう一度、機会があったら行ってみたいね、中国。今度はもっと辺鄙な所へも。