第84回大会実施概要
1.名 称 第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会
2.主 催 財団法人日本サッカー協会
3.共 催 日本放送協会、共同通信社
4.主 管 都道府県サッカー協会
5.出場チーム 全80チーム(9月5日に全出場チーム決定=都道府県選手権大会最終日)
J1−16チーム、J2−12チーム、JFL前期の上位3チーム(大塚製薬、Honda FC、ザスパ草津)
総理大臣杯全日本大学サッカー選手権大会上位2チーム(駒澤大学、桃山学院大学)、都道府県代表47チーム
日 程
1回戦: 9月23日(木・祝)
2回戦: 9月26日(日) JFL、大学シードチームの出場
3回戦: 10月10日(日) J2チームの出場
4回戦: 11月13日(土)、14日(日)J1チームの出場
5回戦: 12月12日(日)
準々決勝:12月19日(日)
準決勝: 12月25日(土)
決 勝: 1月 1日(土・祝)
出場チーム詳細 [チーム名の後の( )内は出場回数]
☆J1リーグ 16チーム[順位はファーストステージ終了時]
1.横浜Fマリノス 9.東京ヴェルディ1969
2.ジュビロ磐田 10.大分トリニータ
3.浦和レッドダイヤモンズ 11.清水エスパルス
4.ガンバ大阪 12.ヴィッセル神戸
5.鹿島アントラーズ 13.サンフレッチェ広島
6.FC東京 14.アルビレックス新潟
7.ジェフユナイテッド市原 15.柏レイソル
8 名古屋グランパスエイト 16.セレッソ大阪
☆J2リーグ 12チーム [順位は37節終了時点]
1.川崎フロンターレ 7.ベガルタ仙台
2.大宮アルディージャ 8.横浜FC
3.モンテディオ山形 9.サガン鳥栖
4.京都パープルサンガ 10.水戸ホーリーホック
5.アビスパ福岡 11.湘南ベルマーレ
6.ヴァンフォーレ甲府 12.コンサドーレ札幌
☆JFLシード 2チーム[前期日程終了時の上位3チーム]
1.大塚製薬 2.ホンダFC
3.ザスパ草津
☆大学シード 2チーム [総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント上位2チーム]
1.駒澤大学 2.桃山学院大学
☆都道府県代表 47チーム
北海道:札幌大学 滋 賀:ルネス学園甲賀
青 森:八戸大学 和歌山:紀北蹴球団
岩 手:富士大学 奈 良:天理大学
秋 田:TDK 京 都:佐川印刷SC
山 形:羽黒高校 大 阪:阪南大学
宮 城:ソニー仙台FC 兵 庫:セントラル神戸
福 島:湯本高校 鳥 取:SC鳥取
茨 城:流通経済大学 島 根:FCセントラル中国
栃 木:栃木SC 岡 山:三菱自動車水島
群 馬:群馬FCホリコシ 広 島:広島経済大学
埼 玉:ホンダルミノッソ狭山FC 山 口:徳山大学
千 葉:ジェフ市原アマチュア 香 川:高松北高校
東 京:佐川急便東京SC 徳 島:三洋電機徳島
神奈川:東海大学 愛 媛:愛媛FC
山 梨:帝京第三高校 高 知:高知大学
長 野:長野エルザ 福 岡:福岡大学
新 潟:JAPANサッカーカレッジ
富 山:アローズ北陸 佐 賀:佐賀大学
石 川:松任FC 長 崎:三菱重工長崎
福 井:丸岡高校 熊 本:アルエット熊本FC
静 岡:静岡FC 大 分:大分トリニータUー18
愛 知:中京大学 宮 崎:ホンダロック
岐 阜:中京高校 鹿児島:鹿屋体育大学
三 重:四日市大学 沖 縄:FC琉球
天皇杯とは
プロ、アマを問わず、すべての第1種、第2種加盟チームが参加できる、
“日本最強のチーム”を決定するトーナメント大会です。
1996年、(財)日本サッカー協会創立75周年を記念して、天皇杯は
リニューアルのため、以下のような改革を断行いたしました。
「全国9ブロック制を廃止し、全国47都道府県から代表チームを選出」
「18歳未満・高校生などの第2種加盟チームへの門戸開放」
これにより、天皇杯への出場のチャンスが、アマチュアチームにも広く
与えられ、ユースチームや高校生のチームも、続々と本大会に駒を進め
るようになりました。さらに、2004年度から開催時期が変更されました。
「すべてのプレーヤーにチャンスを与えたい」という天皇杯の理想が、
一歩一歩実現されています。
今後目指すものは、この歴史ある天皇杯が皆さんにとって最も身近であ
りかつ、世界に誇れる一流のカップ戦になることです。
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第1種 年齢を制限しない選手により構成されるチーム。
第2種 18歳未満の選手により構成されるチーム。
ただし、高等学校在学中の選手にはこの年齢制限を適用しない。
第3種 15歳未満の選手により構成されるチーム。
ただし、中学在学中の選手にはこの年齢制限を適用しない。
第4種 12歳未満の選手により構成されるチーム。
ただし、小学校在学中の選手にはこの年齢制限を適用しない。
女子 女子の選手により構成されるチーム。
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天皇杯の由来
昭和22年(1947年)4月3日、東京・明治神宮競技場で行われた
東西対抗サッカー試合を、天皇陛下と皇太子殿下がご観戦になられた。
戦後、運動競技の試合会場へおいでになった最初のことで、荒廃のなか
から立ち上がった日本の中核をなす若人を激励されたいお心からであっ
たろう。
2対2の引き分けで試合が終わったあと、グラウンドにおり立たれて、
協会関係者や選手を激励された。
このことから、宮内庁の特別なご尽力もあって、天皇杯下賜のことが運
ばれ、翌23年(1948年)7月2日、当時の高橋龍太郎日本蹴球協
会会長が宮内庁に出頭、拝受した。
これは、戦後各種競技へ下賜された天皇杯のなかで最初のものである。
天皇杯は当初、東西対抗の勝者に授与されていたが、第31回から「天
皇杯全日本選手権大会」となり、その優勝チームに授与されることにな
った。その後、年月を経たために昭和41年(1996年)6月27日、
宮内庁から新しい天皇杯を再下賜され、第46回大会に優勝した早稲田
大学チームが、新天皇杯を獲得した。